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八王子めじろ台バプテスト教会 hachimejib.exblog.jp

〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036  礼拝(日)AM10:00~12:10              祈り会( 水曜日 午前10時~11時20分


by hachimejibap
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礼拝相互訪問

教会間で、牧師どうしの交換講壇をしているケースはあると思うのですが…
牧師だけでなく信徒も含め数名で、教会どうし、お互いの礼拝を訪問できたら、
キリストの家族、バプテスト仲間として素晴らしいのではないか…
北関東地方連合のバプテスト諸教会ではすでにスタートさせていた「礼拝相互訪問」に、
東京西地区牧師会として目を開かれたのが昨年度のことでした。

そして東京西地区牧師会からの呼びかけに応え、当教会もこの5月には町田伝道所に
当教会から3名が訪問し、ご奉仕をさせていただき、共に礼拝をお捧げしました。
そして今月10日、こんどは町田伝道所から伊藤真知子牧師ご家族3名をお迎えし、
共に礼拝をお捧げすることができました。

息子さんたちの賛美と証しのとき、そして伊藤牧師のメッセージを受け、当教会も大いに
力づけられました。
礼拝後、伊藤牧師ご家族が私たちと軽食を囲んでくださった楽しいひとときも、
本当に感謝でした。
今後とも諸教会の礼拝に、キリストの息吹がより豊かに広まることを期待しています。

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# by hachimejibap | 2012-06-13 09:48 | 活動報告

ただ神によって

ただ神によって

マルコ福音書9:1~8
 今から70年ほど前、世界中が戦争に巻き込まれて、多くの人たちが殺されて
いきました。ドイツという国では、ユダヤ人に生まれた、というだけでたくさ
んの人たちが捕まり、殺されたのです。あるとき、あるユダヤ人が、たまたま
仕事でドイツに立ち寄ったときに捕まってしまったときの話を紹介します。
その人は「明日は妻の誕生日だから、何を買ってあげようかな。子どもたちに
もお土産を買っていったら喜ぶだろうな。」そんなふうに、たくさんの夢と希
望に胸をワクワクさせながら、仕事からの帰り道、捕まってしまったのです。

たくさんの人たちと一緒に、貨物列車に、ギュウギュウ詰めにされて運ばれて
いきました。隣りには年老いたユダヤ教のラビ(教師)がいました。
突然、ガタン!事故か何かで列車が停まりました。逃げ出すなら今しかあり
ません。でも捕まったら最後、すぐさまその場で射殺されてしまうことでしょ
う。その人は、勇気を振り絞って逃げ出しました。別れ際に年老いたラビは、
汚れた布に包まれた固まりをその人に差し出しました。「この中にはパンが入っ
ている。干からびて堅くなっているけれど、まだ食べられる。もしも、もうダ
メだ、これで終わってしまう、というような時になったら、このパンを食べな
さい。それまでは、この包みを開かないで、最後の最後まで我慢しなさい」その
人は闇に紛れて走り出しました。何度も兵隊に見つかりそうになり、くたびれ
てしまって、もうダメだ、とあきらめそうになったとき、その人の手には布に
包まれたあのパンがしっかりと握られていました。そしてついに、わが家に帰
ることができたのでした。疲れ切った夫を出迎えて、その荷物を受け取った妻
は言いました。「どうしたの?この汚い布に包まれた固いものは」。その人は
応えました、「命のパンさ」。布をほどくと固いものが転がり出てきました。

その人は布に包まれたそれの中身を覗くことなく、忍耐して救われました。
しかし私たちキリスト教会は中身を知っていて、忍耐して救われるのです。
キリスト教会の中身はイエス・キリストが進んで行かれた、あの木の十字架です。
イエス・キリストが掛けられて、殺された、あの木の十字架です。取り立てて
見栄えのしない、いや、見栄えしないどころか、この世の富や繁栄などの美的
感覚からすれば醜いものでしかないことでしょう。まさに荒削りの、あの木の
十字架に掛けられて、殺されたイエス・キリストの身体…けれども、そのイエ
ス様の身体こそ永遠の命のパンであり、また永遠の命の契約を証しするために
流された血潮でした。私たちは、そのようなキリスト教会の中身をすでに見て、
味わって、仰ぎ見て、耳を傾け続けていくことで、すでに救われているのです。
キリスト教会にはいろいろなことがあります。けれども、キリスト教会の土
台、無くてはならぬものはただ一つ。私たちの救い主が、あの十字架に向かっ
て突き進んでくださったという、ただ神のみわざのゆえに、キリスト教会は成
っているのです。そうであればこそ、いろいろな人たちが、いろいろなものを
分かち合い、いろいろなことで助け合っていくことができる。そうであればこ
そ、何が失われても、何が取り去られても、どれほどゼロのゼロにまで落ち込
んだとしても、いろいろな人たちが集まり始め、いろいろなものを持ち寄り、
いろいろなことでの助け合いが再び力強く起こされていくことでしょう。
# by hachimejibap | 2012-05-30 22:06 | メッセージ
今年も行ってきました、高尾山ピクニック!
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               出発前の記念写真です →

当日は、ほどよく雲が日光をさえぎり、
暑くもなく寒くもなく、絶好のピクニック日和でした。
今年の参加者は30名、
ケーブルカー終点付近を無理なく回れる
半日コースと、
高尾山頂を越えて少し進んだところで一緒にお弁当を食べる
一日コースにわかれて出発です。



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高尾山はミシュラン三つ星で有名になって
いつも盛況、
ゴールデンウィークで道中、さらに大賑わいでした。
往復ともにケーブルカーもリフトも利用せず、
その健脚ぶりを発揮した方も多数いました。
小さい子どもから大人まで、助け合いながら、
元気いっぱいで帰ってくることができました。


「主は大いなる神であって、
 われらの神の都、 その聖なる山で、
 大いにほめたたえらるべき方である。」 口語訳聖書・詩篇48篇
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# by hachimejibap | 2012-05-02 11:52 | 活動報告

主はよみがえられた

ルカ福音書23:55~24:12「主は よみがえられた」

ルカ24:6 そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤ
      におられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。
 
 
  神の救いを、永遠の命の期待をひたすらこのお方に寄せていた救い主、イエス
様は今、墓の中へと葬られてしまった。イエス様を愛するがゆえに、その絶望と
向き合うこと、その死と向き合うこと、そのような厳しい現実を受け入れざるを
得なかった人々。そのような人々が思い出しなさい、という招きに応えるとき、
ただ故郷でイエス様と初めてであった頃の懐かしさ、気持ちの良さということだ
けでは、決して収まらなかったことでしょう。

 そう、思い出すべきことはイエス様がお話になったこと、イエス様のお言葉です。

ルカ9:22 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨
      てられ、また殺され、そして三日目によみがえる」。
  9:44 「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子は人々の手
       に渡されようとしている」。
  9:45 しかし、彼らはなんのことかわからなかった。それが彼らに隠されてい
       て、悟る ことができなかったのである。また彼らはその事について尋
      ねるのを恐れていた。


 弟子たちには理解できなかった、聞くのを恐れていた。イエス様を救い主として
信じ、愛していた人々にすれば、何かイエス様の目覚ましいご活躍でもって世界
がバラ色になっていく、というようにして、威勢の良い話を聞かせてもらいたか
ったとしても不思議はありません。
 ところが、イエス様の言葉はそのようなものではなかった。イエス様がよみが
える、ということは、イエス様の死と向き合わなければならない、イエス様の十
字架上のお苦しみから目を背けるわけにはいかない。
 しかし、それは裏返して言えば、イエス様の死と向き合うなら、イエス様の十
字架上でのお苦しみから目を背けないのであるならば、「あのお方はもはや墓の
中にはおられない、よみがえられたのだ」という言葉が自分たちの周りに起こさ
れ、響き渡る、そういう十字架の福音、救いの約束でもありました。

ルカ24:8 そこで女たちはその言葉を思い出し、
  24:9 墓から帰って、これらいっさいのことを、十一弟子や、その他みんなの
      人に報告した。

  
 墓が空っぽなのは確かでありましたが、女性たちは、この段階ではまだ復活の
イエス様と直接であっていません。しかし彼女たちは動き始めています。イエス
様を愛する人々に「主は よみがえられた」というその言葉を送り届けるために、
動き始めました。

ルカ24:11 ところが、使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じ
       なかった。


 「見ず知らずの人たち2人の人がいきなり現れたって?夢でも見てたんじゃない
の?しかもイエス様がよみがえった?愚かだなぁ、そんな話を真に受けるだなん
て…」そんな風なことを弟子たちが考えたかどうかわかりませんが、愚か者と見な
されて、ひょっとしたらその女性たちだって、自分は夢を見ていたのかしらん、
と半信半疑になったかもしれません。いわゆる弟子たちから信用してもらえず、
中には、しばらくこのことについては、口をつぐんでしまった女性だっていたか
も知れません。けれども、彼女たちは、すでに復活のイエス様と出会っていたの
です。人の側がどんなに傷つけられたり、弱められたりすることがあったとして
も、復活のイエス様と出会っていた、その真実は決して変わらないのです。
たとえば私と誰かが互いに背を向け合って、何も語りかけようとしない、何も
聞こうともしないとしたら、私と彼はお互いに死んでいるのと同じでしょう。逆
に、彼と私とが厚い壁に隔てられてお互いに見ることも聞くこともできなかったと
します。しかし、もし私が彼からの語りかけ、彼からの訴えに耳を傾けていたな
ら、どうでしょうか。厚い壁に隔てられて、たとえ目に見える状態としては、も
はや彼が死んだに等しかったとしても、彼は私と共に生きています。それは、彼
がただ私の中で生きているというだけではありません。彼は私と共に生きてくれ
ているのです。たとえ何万光年の距離へと私と彼とが引き離されていったとして
も、何万光年の月日と歳月へと私と彼とが引き離されていったとしても、彼から
の語りかけ、その訴えがあるならば、もはや、たとい彼は死んでも生きているの
です。
 復活の主は、弟子たちと共に食卓を囲み、共に食事をされた、そのような肉体
をとってご復活されました。
 けれども主の復活は、その永遠の命は、目に見える間は生きているけれど、見
えなくなったら死んでしまったも同然、などという、ちっぽけな命ではありません
でした。たとえ見えなくなっても、彼からの語りかけ、彼からの訴えを心の耳で
しっかり受けとめるなら、イエス様の豊かな命が響き渡ります。私たちの心の中
だけで収まることなく、心の中から周囲の人々へとあふれ出るかたちで、響き渡
っていくことでしょう。

ルカ24:8 そこで女たちはその言葉を思い出し、
  24:9 墓から帰って、これらいっさいのことを、十一弟子や、その他みんなの
       人に報告した。


 主イエスの言葉に耳を傾けるなら、その訴えを思い起こすなら、私たちは動き始
めます。復活の命に満たされた何かが私たちの人生から始まります。
このイースター、復活祭を私たちは祝いましょう。
# by hachimejibap | 2012-04-30 22:23 | メッセージ
 世界の大ベストセラー、それは聖書です。
2200以上の言語に訳され、世界の90%の人が、自分の言語で聖書を読めると
言われています。
日本でも1年に実に80万冊以上が売れているそうです。

 これだけの人が聖書に「何か」を求めて、聖書を手にしてみるのですね。
ところが、買ったものの、読まれていない本ナンバーワンも聖書だそうです。
「何か」を求めて読んでみるけど、難しくてわからない、何が書いてあるか
理解できなくて、だんだん読まなくなってしまうことが多いようです。
聖書をつうどく(通読)するつもりが、いつのまにか本棚につんどく(積んどく)
になってしまう・・・・こんなことありませんか?

 教会学校入門(新来者)クラスでは、聖書のイロハをわかりやすく学べます。
神様の愛と希望の言葉にあふれた聖書・・・あなたも教会学校で、共に聖書を
味わってみませんか?

     教会学校入門クラス
        毎週日曜日  10時~10時40分

どなたでもお気軽にお越しください。
# by hachimejibap | 2012-04-23 15:12 | 教会からのお知らせ