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テーマ 反戦平和
聖書 ペトロの手紙 一 5章8~11節
2016年8月7日                        鈴木重義

安倍内閣の主導する“いわゆる戦争法”の制定は、混迷する国際武力紛争の現実に
日本国を捲き込む危険の度を増し加え、平和憲法の形骸化は深刻である。
当教会は、この平和の危機に反対する反戦平和活動の諸グループと連帯するが、実
践の根拠たる聖書の教説を互いに共有する自覚が求められている。
(以下、「 」で記す太字は聖書の教説である。)
Ⅰ 時空を越えた基本姿勢(キリストの言葉)
A.「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マルコ12:17)…皇帝と
は、統治秩序において上位にある国家権力者と理解される。被支配(下位)の国民
は、納税の義務を果たすと共に安心・安全な生活を守られる。但し、神は皇帝も
住む全地を支配する絶対的上位にある。「人間に従うよりも、神に従わなくては
なりません」
。使徒ペトロの言葉。(使徒言行録5:29)
B.「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26:52)…「実に、キリストはわたし
たちの平和であります。…キリストは、…十字架を通して、両者を一つの体とし
て神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
(エフェソ2:14~16) 実に
キリストは剣の防禦を廃して十字架の犠牲を引き受け、命がけで愛敵の証しを全
うされたのだ。
C.「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた
自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。」
(ヤコブ4:1)
  戦争の指導者は独善的に聖戦とか正義の戦いを主張するが、実体は民族的反
目、領土的野心、経済的争いであることが多い。旧約聖書には紀元前の時代の戦
争が記述されているが、イエス・キリストが「聖書はわたしについて証しをする
ものだ」
と教え給うた。(ヨハネ5:39) つまり、剣を否定されたイエス・キリスト
の視点に従えば、時代の特殊事情に制約された戦争は否定的・批判的に解釈され
なければならない。旧約聖書の聖戦思想を現代の好戦論の口実にしてはならない。
Ⅱ 国家権力と対峙するキリスト者の姿勢
D.平時の関係にも祈る
「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての
皇帝であろうと、あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、
皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。」
(1ペトロ2:13~14)
この聖句に続く教えとして私たちは、罪から解放された”自由人”として、また”神の
僕”として生活し、行動するよう奨められている。
現代の日本人として私たちは、納税の義務を自覚し、良心的に納税する必要があ
る。同時に私たちは憲法の枠組によって整えられた平和や基本的人権や福利厚生
の諸制度により安心・安全な生活行動が守られることを要求する。
 そしてキリスト者は国の全施政が御心に適(かな)う方向に展開されるよう祈る
必要がある。
E.平和の危機や基本的人権の侵害に反対し、抵抗する場合
「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける
獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏み
とどまって、悪魔に抵抗しなさい。…神御自身が、しばらくの間苦しんだあなた
がたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいま
す。」
(1ペトロ5:8~11)
国家権力が悪魔化したとき、教会はキリストの言葉に従い、合法・非暴力を歯止
めとして非妥協的に反対し、抵抗する使命を持つ。
# by hachimejibap | 2016-09-06 18:00 | メッセージ
テーマ :罪の赦し
聖書 マタイによる福音書 6章11~12節
2016年7月31日                      牧師 左右田 理

 ある人が言いました。「主の祈りの中で唱えることがつらい部分がある。“自分たちが
赦したように、赦してください”(1880年訳)などと唱えたら、結局、自分たちはまったく赦
されることなく、滅ぼされてしまうのではないか」…主の祈りは、救い主の祈りです。断罪
のための祈りではありません。1880年訳では“罪”と訳されている言葉は、原語に照ら
し合わせるなら“負い目”です。(「主の祈り」新共同訳聖書(マタイ6:9~13)+日本キリスト教
協議会(NCC)統一訳頌栄 参照) “負い目”とは、“犯罪”(断罪)という意味ではなく、隣
人関係を問い、“共に生きる”を問う言葉です。ですから主の祈りを通して、私たちは、
今日の食卓が隣人と共に生きるために必要な食卓になるよう、祈り求めているのです。
(11節、7/3「今日のメッセージ」参照) 共に生き切れなかった今日を、くり返し命の主に
赦してもらいながら、“共に生きる”が完成する復活の明日を見詰めながら、十字架の
道へ踏み出していけよう、祈り求めているのです。(12節、マタイ6:33~34)
もし、共に生き切れていない自分を正当化し始めるなら…すなわち、他者の過ちを赦
さないなら、自分も赦されないのです。(マタイ6:13~14) もし誰かに対して「自業自得」呼
ばわりするなら、その裁きが自分自身に“返ってくる”のです。(マタイ7:2、(7/24「今日のメ
ッセージ」参照) 戦後日本社会は経済成長期、バブル崩壊時、そのつど、時代の価値
観から はみ出た人々に対しては、自己責任論、親の責任論を突きつけ、彼らを切り捨
てながら、家内安全、商売繁盛の社会的体裁を保ってきました。そのような日本社会
が、やがて“返ってくる”裁きを前にして、どのような立つことができるのでしょうか。
 だからこそ、私たちは主の祈り、救い主の祈りを共に唱えましょう。いまだ主を知らな
い人々にも、共に祈るよう、呼びかけ、招きましょう。「自分たちが赦した“過去(実績)”
によって赦してください」(1880年訳参照)ではなく、キリストの赦しの“宣言”(マタイ9:2)と共
に生きていく希望をもって、「…赦しましたように」と唱えましょう。(新共同訳聖書+NCC
統一訳頌栄 参照) “主の”宣言は必ず成るのですから。(ヨハネ黙示録21:5)
 明日から平和月間です。日本バプテスト連盟諸教会と共に、世界中で平和の主を待
ち望んでいる人々と共に、主の祈りを唱えましょう。“共に生きる”ことができなかった
日々を赦され、あらゆる命と共に主の食卓を囲むことになる明日に向かって。
# by hachimejibap | 2016-08-03 11:00 | メッセージ

彼らに耳を傾けるが良い

テーマ :罪の赦し
聖書 ルカによる福音書 16章19~31節
2016年7月24日                  牧師 左右田 理

 本日の聖書箇所は、イエス様による例え話の一つです。「金持ちとラザロ」とも呼ばれ
ています。本日は、この例え話が、当時、神の掟(律法)の専門家だったファリサイ派の
人々を批判する文脈の中で語られている点に注目したいと思います。つまり死後の世
界の描写でありながら、じつは現世を問いただすための例え話だと考えられます。
 金持ちは地獄の業火で苦しみながら、舌を冷やさせて欲しい(24節)、と訴えます。地
獄の業火とは舌そのものだったのではないでしょうか。(ヤコブ3:5~6) 大言壮語、自己主
張は、自己正当化合戦となって周囲に燃え広がり、その競争についていけない命があ
れば、「あれは怠け者だ、“自己責任”だ」、「親の顔が見てみたい」(ヨハネ9:2)という断罪
の言葉で世が焼き尽くされるのです。自己責任、親の責任…それは、苦しむ命を遠ざけ
ることを正当化させる食卓に人を閉じこめていく呪いの言葉です。(19~21節)
 金持ちは地獄の業火で苦しみながらも、しかし、希望の言葉、救いの言葉が指し示さ
れています。(29節) ところが金持ちは、せっかくアブラハムが証ししてくれたその希望、
モーセと預言者を通して与えられる救いの言葉が、まるで無駄であるかのような受け応
えをするのです。(30節) ユダヤ民族は歴史的に、5才までにモーセによる神の戒めなど
を暗唱させてしまうくらい宗教教育が徹底されていると言われます。しかし金持ちは、本
当に、モーセと預言者たちに耳を傾けていたのでしょうか。(ヘブライ11:13) 
 私たちはここで、この例え話をお語りくださったのはイエス様であることを忘れてはなり
ません。歴史的キリスト教には、十字架が1本の印だけでなく、3本立っている印もありま
す。それは、この世で断罪されていく者たちの苦しみのど真ん中をゴールとして、ひたす
ら前進してくださった十字架の主イエスを証ししています。(マルコ15:27) それは罪人たち
に、すでに訪れている罪の赦しです。そして、いわゆる模範的市民も、受刑者と“共に”、
「自己責任」「親の責任」などという断罪用語、自己正当化用語に負けてしまう弱い罪人
たちとして、十字架の赦しを受けることができる恵みです。
 地獄の業火に苦しむ金持ちは、傍らに、すでに、十字架の苦難の赦し主が共にいるこ
とに、果たして気づくだろうか…これは、上昇志向(23節)に囚われていたファリサイ派の
人々に対する、イエス様の愛による問いかけだったのではないでしょうか。
# by hachimejibap | 2016-08-03 10:00 | メッセージ
テーマ 牧師
聖書 使徒言行録8:26~40
2016年7 月17 日              協力牧師 北島靖士

何故、教会に牧師が必要でしょうか。聖書解釈者としての牧師が必要です。「聖書解
釈者としての牧師」というのはあるアメリカの神学者の言葉ですが、聖書から神の言
葉を語る者と言う意味です。数千年も前に書かれた言葉を、現代の世界とそこに生き
る人々に向かって語るには専門的な訓練を受けることが必要になります。しかし、
これは神学校を出なければ牧師の資格がない、と言っているのではありません。
神の言葉とは何でしょうか。ヨハネ1:14にあるようにイエス・キリストを語ることが
神の言葉です。神の言葉を語るとは現代の世界と人間に、あの十字架にかけられたナ
ザレのイエスによってこそ救われるのだと語ることです。ですから、生けるイエス・
キリストに出会った人はすべての人はその証をすることが出来るのです。
フィリポは聖書(イザヤ書)から説きおこしてイエスについての福音を告げしらせた
のですから(使徒言行録8:35)、聖書解釈者としての牧師でした。牧師は信徒一人
一人に対する牧会の責任もあります。牧会とは何でしょうか。一人一人に、その時の
その人にもっとも必要なみ言葉を取り次ぐということなのです。このような牧師が教
会には必要なのです。
そして聖書はどれだけ深く研究しようとも、そのままで神のことばであるわけではあ
りません。それは古代の文献に過ぎないのです。しかし、そこに聖霊が働く時にのみ、
神の言葉になるのです。聖書朗読とメッセ―ジの前に祈祷があります。これは「聖霊
の照らしを求める祈り」(イルミネーション)と言われる祈りです。 礼拝において
わたしたちは神の言葉を聴き、祝福を受け、礼拝から派遣されて、日常へと帰ってゆ
き、「喜びにあふれて人生の旅をつづけて行く」(使徒言行録8:39)のです。
# by hachimejibap | 2016-08-03 09:00 | メッセージ
テーマ :神の赦し
聖書 出エジプト記 33章1~3,12~17節
2016年7月10日                     牧師 左右田 理
 昔から、「旧約聖書の神は、怒ってばかりいる」というようなことを耳にします。しかし、
ある人は言いました、「神さまが怒ったという記述は、いったい幾つあるのか。1000年
以上もの、旧約聖書の歴史において、数えるほどの回数しか無かったとすれば、よっ
ぽど神の忍耐、神の赦しの方が際だつのではないか。」…私たちは、本日の聖書箇所
からも神の赦しを聴くことができるのではないでしょうか。(ローマ11:33)
 出エジプト記32章で、すでに神の民は、救いの神に背いていました。神は裁きます。た
だし、「あなたがたは約束の地に入れない」、ではありません。「約束の地に入れるよう
にはするが、もはやわたしは同行しない」、という裁きです。(1~3節) 神の裁きは、いわ
ゆる天罰ではありません。神の裁きは問いです。すなわち、「民よ、あなたが求めるの
は、家内安全、商売繁盛なのか、それとも、あなたがたを世界的繁栄国家エジプトでの
奴隷の苦役から、荒れ野へと救い出した、この わたし自身なのか」…(マタイ6:24)
 モーセは神に訴えます、「もし、あなたが“共に”いてくださらないなら、私たちが今、こ
こに たどり着いたことに、何の意味があるでしょう。これから行く先で、あなたからの愛
が明らかにならないなら、私たちはそこに入るする意味を失います」。(12~13節) 神が
引き続き同行し、安息をくださるという約束(14節)に対しても、モーセは、さらにたたみ
掛けます。「神ご自身が私たちと共にいてくださるということ、神ご自身が私たちを愛し
ていてくださるということが、明らかになることを私は求めます。もし、それが明らかにな
らないなら、約束の地、安息の地へ出発させないでください」。(16節、マルコ12:28~30)
 神の赦しは、神の裁きとしての“問い”に向き合い続けていくよう、人々を招き、迫り、
また導く神の労苦なのです。神の赦しは、ただの無罪放免(追放、排除)ではありませ
ん。神に背を向けている者には悔い改めを呼びかけ、隠された罪(自己正当化)は指摘
し、みことばの勝利に向けて粘り強く対話を進めていく神の忍耐です。神はキリストを復
活させました。それは、あらゆる命との対話を進め、みことばの勝利をあらゆる命に満
たし、あらゆる命を義とするためでした。(ローマ4:25) この神の赦しを全世界に告げ広め
ていく器として、私たち八王子めじろ台バプテスト教会も、熱く好意を寄せられていること
を感謝しましょう。神の名指しに共に応えましょう。(17節)
# by hachimejibap | 2016-07-10 22:21 | メッセージ

〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036  礼拝(日)AM10:00~12:10              祈り会( 水曜日 午前10時~11時20分


by hachimejibap