八王子めじろ台バプテスト教会

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五つのパンと二匹の魚

テーマ:イエスの力
聖書: ヨハネによる福音書6:1~15  
2018年1 月28 日                協力牧師 北島靖士

はじめにわたしが、ずっと以前に書きました文章を紹介したいと思います。
西洋なしの形をしたガリラヤ湖の北端、フィリポ・カイサリアに源を発したヨルダン川が
流れ込むあたりの丘の上に今日あまり大きくはないが、白い八角形をした教会堂が立って
いる。この教会堂のまわりを廻っているバルコニーに立つと、目の下に青いガリラヤ湖が
さざ波を立てていて足元から涼しい風が吹き上げてくる。ここがイエスのマタイ5~8章の
山上の説教がなされた場所だと伝えられている。そしてその背後にある草が生えているな
だらかな斜面、こここそあの五千人に対する給食の舞台なのである。イエスの恵みの豊か
さを覚える時、あまり、木や草が見あらたらず荒野が多いイスラエルの中で、特にみどり
豊かな丘が物語の舞台とされたということはうなずけることである。
これはわたしがイスラエル旅行をした直後にその印象を書き止めたものです。しかしこの
風景は今も変わっていないようです。
ガリラヤ湖の向こう岸のユリウス・ベッサイダの村へ行こうとされたイエスさまには大勢
の群衆が従って行きました。イエスさまが病人たちになさった奇跡を見て、あのような働
きが自分たちの上にも起こるようにと期待していたのでしょう。大多数の人が病気を持っ
ていたのでしょう。イエスさまは丘に登られます。弟子達もイエスさまと共に座につきま
した。見下ろすと群衆もまた主のみそば近くへとひしめきあうように丘を登ってくるのが
見えます。
この時イエスさまは病気も癒されたでしょうが、マルコによる福音書を見ると「大勢の群
衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」
とあります。これが、マタイ5~8章の山上の説教です。
(以上はメッセージの冒頭部分です。)


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# by hachimejibap | 2018-02-27 17:48 | メッセージ

キリストに結ばれて

テーマ キリストの交わり
聖書 使徒言行録コリントの信徒への手紙 二 2章14~17節
2018年1月21日    主日礼拝            牧師 左右田 理

 クリスチャンの道は神さまの光に照らし出されてまっすぐ歩むことができる…教会学校
に通っていた小学生時代に耳にしたことです。しかし本日の聖書箇所の事情(1章)として
あの大伝道者パウロの立てた伝道計画が変更を余儀なくされていたようです。神さまに
救われ、また守られているなら、計画の変更など起こるはずないのではないか…コリン
ト教会に渦巻き始めていたパウロへの疑問だったのではないでしょうか。ところがパウ
ロはそのような疑問を一蹴するかのように力強く宣言します。コリント教会訪問が遅れた
のは諸問題に対して性急な裁きをしない、という思いやりの決意の表れに過ぎない、と。
(1:23,2:1参照) 果たしてこれは、パウロが開き直って自己推薦を始めているのでしょう
か?(3:1) お互いの言い分がどこまでも平行線をたどっていくように見えるとき、人は途
方に暮れます。しかし教会の交わりはそのようなときにも、絶えずキリストに立ち返るこ
とができるのです。
 本日の聖書箇所でパウロは宣言します、私たちはいつもキリストの勝利の行進に連な
っていると。キリストの十字架は、律法など諸々の規定による証書によって社会的に不
利な評価を受けた人々に連なり、その評価を破棄して取り除きました。キリストの勝利
は、世の権威(比較優劣、合否)、武装の愚かさを明らかにしてくれました。(コロサイ2:14~
15) 教会は社会的に不利な評価を浴びせられている人々と出会い、交わり、連なるこ
とによってキリストの勝利の行進に連なり、命から命に至らせる香りを世に解き放って
いくのです。しかし世の権威に執着し、武装する人々にとってそれは、死から死に至ら
せる香りであるかのように誤解し、教会を裁き、また迫害するのです。
 けれども教会は裁き返すことはありません。そもそも報酬、見返りを求めていないか
らです。ただキリストに結ばれた交わりを求めていくからです。(17節) それでも教会もま
た道を踏み外すことがあります。社会的に不利な評価を浴びせられている人々を避けて
しまった負い目は、キリスト教会2000年の歩みにもあります。裁く側へと誘惑され世の権
威、武装に堕してしまったときがあります。教会は、ひたすら悔い改めの交わりです。
「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しまし
 たように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」(マタイ6:12~13)


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# by hachimejibap | 2018-02-27 17:47 | メッセージ

主の名によって

テーマ 教会の成長
聖書 使徒言行録 9章26~31節
2018年1月14日    主日礼拝            牧師 左右田 理

 新約聖書には初代教会が受けてきた迫害の厳しさも物語られています。まさに命がけ
の教会活動でした。しかし彼らは内に こもることなく伝道に邁進しました。「一人でも多く
の人たちがまことの救い主イエス様と出会えますように」…人々がイエス様と出会うため
に、教会は人々との出会いを喜びました。しかし本日の聖書箇所を見ますと、そのよう
な彼らでも誰に対しても笑顔で出会えたわけではないことがわかります。サウロは教会
に対する迫害者でした。つい最近までクリスチャンの命を奪う急先鋒でした。ところが い
きなり「君たちの仲間だ」と迫ってくるのです。こんな場面で誰が前向きな態度で迎えるこ
とができましょう。
 ところが ここにバルナバという人物が登場します。バルナバという名には「慰めの子」
という意味がありました。(使徒4:36) バルナバは教会活動の中核を担っていた使徒た
ちのもとにまでサウロを案内し、引き合わせます。サウロがスパイでも暗殺者でもないと
いう根拠は イエスの言葉を聴いたサウロの証し、そしてそのイエスの言葉を告げ広め
たサウロの生き様でした。(27節) イエス・キリストの言葉を共有するなら、それまでの敵
対関係、損害を度外視して希望をもって迎える、そこに教会の成長がありました。さらに
は、これからの損害も度外視して支える、そこに教会の成長がありました。サウロを迫
害者から匿い、逃がした後、迫害の矛先は教会に向いたことでしょう。(30節) 教会は自
分たちの命を奪った者の命を支えることによって、後の大伝道者パウロを迎えていたの
です。
 教会に保たれる平和は、和解の福音です。天と地ほどもある開き、隔たりを取り壊し
てあらゆる命を一つにつなげる十字架の力です。そこでは あらゆる合否判定基準、比
較優劣の規定が廃棄され、差別した者、排除した者が、差別された者、排除された者と
共に、主の十字架のもとで一つにされるのです。(エフェソ2:14~16) 教会は律法のゆえに
失格者の群れとしてサウロたちから迫害されましたが、その迫害者サウロをキリストの
言葉のゆえに受け入れたことを通して、大伝道者パウロを世に派遣することとなりまし
た。出会う命を主の名によって受け入れることによって、教会は人知を越えて発展し、
成長していくのです。(31節)


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# by hachimejibap | 2018-02-27 17:46 | メッセージ

勧めを聞き入れた民

テーマ 神の民
聖書 出エジプト記 18章24~27節
2018年1月7日    新年礼拝           牧師 左右田 理

 新年に際し教会形成のルーツをたどりたいと思い、本日の聖書箇所と出会いました。
旧約時代の神の民イスラエルがどのように共同体を組織化していったのか…ところが
私に届いたメッセージは組織化の手引きといったものではなく、共同体形成を導いたの
は誰か、という問いでした。並行記事である申命記1:9~15では、民の形成を導いたのは
民のリーダーであるモーセ、という至極当たり前の描写になっているのですが、本日の
聖書箇所によればリーダーであるモーセが、ミディアン人である舅(18:1)の指示に従った
結果として、神の民イスラエルがその共同体を形成できたことになります。
 昨年の礼拝メッセージで、申命記がモーセの時代よりはるか後代、イスラエル王国が
滅びの危機を脱するためにもがいていた時代の作品だった可能性を指摘しましたが、
もう一つ王国時代の一つの常識として、ミディアン人はイスラエルの歴史的仇役だったと
いう事実があげられます。(イザヤ9:3、士師7:15) 国家の建て直しが図られるとき、生粋
の血筋の人物に誉れを帰するような、いわゆる愛国運動的物語が量産され、仇役に花
を持たせるような物語など焚書にされそうなものです。しかし そうはならず、本日の聖書
箇所が神の言葉として今の私たちの手元にまで届いているのは不思議です。じつは、
ここにこそ神の国の神の国たるゆえん、この世の国と異なる神の国の本質がありはし
ないでしょうか。神の国としての共同体が形成されるためには、身内、仲間内の、自画
自賛的な物語に終始することなく、他者の見解、自分と異なる見解に耳を開くときにこそ
恵みと出会ったという物語もまた必要不可欠だったのではないでしょうか。
 並行記事である申命記は、各部隊の隊長がリーダーのモーセを支えることによって神
の国の共同体が形成されたという点に集中しています。しかし本日の聖書箇所は、各隊
長が異邦人(よそ者)にも広く耳を開くという潜在的使命を負っていくところに神の国の共
同体が形成されたことをも証ししてくれているのではないでしょうか。ややもすれば この
世の国は外界との接触を制限し“変わらない”ことで自らを保とうとします。しかし異見を
喜び“変わる”ところにこそ、神の国は訪れるのです。
「わたしたちは、キリストの体として世の力から独立し、キリストの平和を祈り求め、(八王
子めじろ台バプテスト教会の契約)」…「御国が来ますように。(主の祈り)」


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# by hachimejibap | 2018-02-27 17:45 | メッセージ

神の民の誉れ

テーマ 新生
聖書 ルカによる福音書 2章25~32節
2017年12月24日    クリスマス礼拝           牧師 左右田 理

 一生のお願い…子どもの頃、一時期流行した決めぜりふ…いや、慣用句でした。相手
を拝み倒すようにして願いをかなえようとする仕草。しかし翌日には願ったこと自体忘れ
てしまったり…それにしても“一生のお願い”というからには、それを最後に願い事は終
わったはずです。あの頃の自分たちは、いったい何人分の人生を生きたのだろうか、な
どと皮肉な思いも過ぎります。しかし本日の聖書箇所に登場する老人シメオンは、そう
いう ふざけた願いに生きた人ではありませんでした。(26~27節) 何より、自分個人の都
合不都合について願う人ではなく、イスラエル全体の慰めを願う人でした。そして民全体
の慰めのために現れる救い主と出会うまで死なない、という聖霊によるお告げに生きた
人でした。そして晩年までかなえられなかった願いにひたすら生きた人でした。
 シメオンにとって、まさに一生のお願いです。どのようなかたちで願いがかなったので
しょうか。まず、出会った救い主は赤ん坊でした。新生児、海のものとも山のものとも…
ローマ帝国による世界大的な支配、抑圧に対する民の慰めは、いつの日か。民が慰め
を受けているその場に自分は立ち会えないだろう…しかしシメオンは言います、「主よ、
今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの
目であなたの救いを見たからです。」(29~30節) 救い主との出会い、それは信仰の出来
事です。(ヘブライ11:1) 社会的な証拠や保障に生きる人生から、信仰と希望に生きる人
生へと生まれ変わる瞬間です。この生まれ変わり(新生)こそが、神の民の誉れです。
 シメオンは神の民の誉れを見ました。神の民の誉れは永遠の恵み(1コリント13:13)と出
会う出来事でした。信仰、希望だけでなく、愛に生きる人生でした。「異邦人を照らす啓
示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(32節) 新約聖書の時代、異邦人はイス
ラエルの歴史において根深いところで天敵でした。天敵にも救いの啓示の光が及ぶと
きときこそ、神の民の誉れの成就でした。(マタイ5:43~44、ルカ6:27~29) このクリスマス、シ
メオンのように神の民の誉れを見ましょう。全身で受けましょう。新年の歩みが神の民
の誉れで満たされますように。
「御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたし
たちに必要な糧を今日与えてください。」(マタイ6:10~11)


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# by hachimejibap | 2018-02-27 17:44 | メッセージ

みんなで歌おう!共に話そう!そして一緒に祈ろう! 〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036


by hachimejibap