人気ブログランキング |

八王子めじろ台バプテスト教会 hachimejib.exblog.jp

〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036  礼拝(日)AM10:00~12:10              祈り会( 水曜日 午前10時~11時20分


by hachimejibap
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

<   2019年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

シャローム シャローム

2019421                

聖書: ヨハネによる福音書201929

テーマ:復活  メッセージ 「シャーロム シャーロム 」                 協力牧師 北島靖士 

このところ何回か、教会暦=教会の暦についてお話ししたり、書いたり致しました。今日は復活祭=イースターです。日本ではクリスマスがよく知られていて、冬の風物詩として定着していると思いますが、イースターはそれほど知られているとは言えません。しかし、教会の中ではクリスマスは比較的おそく、4世紀以後になってようやく定着いたしました。それに対して十字架につけられて殺されたイエスさまの復活の日として日曜日の礼拝が1世紀の後半には始まりました。またユダヤ教の過越祭(パスカ)と結びついたイースターは2世紀にはもう行われていたといわれます。

さて、聖書の復活の主イエスとの出会いであります。今お読みしましたヨハネによる福音書20章の19節にも26節にも弟子達は「自分たちの居る家の戸に鍵をかけていた」と書かれています。彼らは何をそのようにおそれていたのでしょうか。一つは19節にあるように「ユダヤ人」を恐れていたのです。勿論これはイエスさまを十字架にかけて殺したユダヤ人の指導者たちのことです。自分たちも先生であるイエスさまと同じ目には会うのではないかと恐れていたのです。またこのヨハネによる福音書が書かれたのは紀元90年ごろのことであると言われます。その頃のキリスト教会はユダヤ教の激しい迫害に逢っていました。ですから、そのころのキリスト者たちは内に内に閉じこもって、心にも、住まいにも鍵をかけたような状態になっていたに違いありません。

さらに、もし今のパレスチナの民衆がこの箇所を読むならば、これは文字通り自分たちのことを書いているのだと思うに違いありません。アメリカのトランプ大統領がエルサレムはイスラエルの首都だと宣言して、テル・アビブにあったアメリカ大使館を移転したり、北のゴラン高原の領有権をイスラエルに認めたりしたために、今また緊迫した状況になっていることを御存じのことと思います。パレスチナの民衆は何時イスラエルの軍隊が押し入ってくるかとおびえながら、しっかりと戸口に鍵をかけているに違いありません。

(これはメッセージの冒頭部分です。アウトラインではありません)


by hachimejibap | 2019-04-22 00:47 | メッセージ

ゲッセマネの祈り

ゲッセマネの祈り

     マルコによる福音書 14章32~42節


 マルコによる福音書は16章から構成され、他の福音書に比べて一番短く、

かつ一番早い時期に書かれたと言われています。イエスの誕生や幼少期、家庭環境などには一切触れられておらず、イエスの宣教活動

特に最後の一週に展開する「受難」の事柄が福音書全体の中心になっています。今日は「受難」の中でもとりわけ重要な「ゲッセマネの

祈り」を中心に、そこに映し出される「イエスの苦しみと弟子たちの弱さ、そしてそれらを超える神の救いのご計画」についてご一緒に

考えてまいりましょう。

ユダヤ教三大祭の一つである過ぎ越し祭のためにエルサレムに入城したイエスは、群衆から熱狂的に歓迎されました。しかし宗教指導者との軋轢により、彼らはイエスを殺害しようと計画します。そのような中、イエスは弟子たちと共にゲッセマネの園で父なる神に祈ります。「わたしは死ぬばかりに悲しい(苦しい)」と弟子たちに語り、共に祈るように懇願します。そして「この杯を私から取りのけてください」と神に祈るのです。それほどまでに苦しい杯とは一体何でしょうか。それは神の裁きを意味します。神に背いた私たちの罪を神の子イエスが背負ってくださるのです。しかし弟子たちにはイエスの真意が分からず、日頃の疲れが出て、眠ってしまうのです。ここに私たちの姿が映し出されています。神様のために何かしようと熱い思いがあっても、いざとなると自分のことで精いっぱい、神様や隣人のことが見えなくなる私たちがいるのです。その私たちに、イエスは「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」と諭すのです。私たちは弱いからこそ、祈り続けなければならないのです。神につながっていなければならないのです。十字架にかかる直前、ご自身も苦しみの中にあったイエスは、弱く疲れている弟子たちをも心に留めて、自分亡きあと、弟子たちがしっかりと信仰に立ち、福音を宣べ伝える”器“となるようにと教えられたのです。

イエスは苦しい杯(十字架での死)を取り除いて欲しいと神に願いましたが、最後は「御心が成りますように」と祈り、眠っている弟子たちに「時が来た。立て,行こう」と毅然と十字架の死を受け入れる覚悟を表します。しかしイエスは十字架上で死にましたが、3日目に復活し、弟子たちに新しい使命を託します。それはイエスこそこの世の救い主、私たちはそのことの証人であるということです。ゲッセマネで眠ってしまった弱い弟子たちは、イエスの深い愛と憐みによって、新しい者へと変えられ て、この世へと立ち上がって行くのです。ここに神のはかり知れない救いのご計画が現れたのです。


by hachimejibap | 2019-04-16 20:14 | メッセージ

黙っているな

今日のメッセージ  八王子めじろ台バプテスト教会

20194 7                 協力牧師 北島靖士

聖書: 使徒言行録18111

テーマ:教会の原点  メッセージ 「黙っているな! 」

今、朗読しました聖書、使徒言行録18111はわたしたちの教会の2019年度聖句が含まれている箇所であります。今年度聖句は週報の第1面を見てください。

 「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」(使徒言行録189,10

わたしたちは先日の総会でこの聖句を選びました。ですから、ただ、週報の表紙に書いて置くだけでなく、今年度中に何度も思い起こし、吟味して見なければならないと思うのです。今日は年度の初めの主日ですから、その第1回目としたいと思います。

そして、総会の席上では「この聖句は教会の原点をあらわしていることばであるだろうか」という質問がありましたが、わたしはまさしくこの聖句は教会の原点を指し示している言葉だと考えます。なぜなら、発言せずに黙っている教会はもはやキリストの教会ではないからです。4節に「パウロは安息日ごとに会堂で論じ」たとありますが、最初期のキリスト者たちはエルサレムの神殿にも行きましたし、各地方にあるシナゴーグという会堂にも集まりました。そういうところから、はじめキリスト教はユダヤ教の一分派と見られていた節があります。しかし、次第に根本的な違いが明らかになってくると、会堂から追い出され、迫害を受けることになります。この箇所は丁度その時代のことが記録されている箇所だと考えることができます。

わたしたちバプテスト教会は17世紀のイギリスで始まりました。その頃のイギリスでは「国教会(チャーチ オブ イングランド)」と言って国王を頂点にいただく教会が正統派でした。しかし、バプテスト教会はそのような政教分離ではなく、政教一致体制を痛烈に批判したために迫害を受け、殉教者も出ることになりました。けれどもかれらは決して黙らず語り続けたために、歴史の中に位置を占め、今日世界に一億人ものバプテストが存在するようになったのです。

(これはメッセージのアウトラインではありません。冒頭部分です)


by hachimejibap | 2019-04-08 08:20 | メッセージ