八王子めじろ台バプテスト教会

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テーマ :主の祈り
聖書 歴代誌上 29章10~20節
2016年8月28日                       牧師 左右田 理

 主の祈りは、マタイによる福音書6章に記されているイエス様の祈りだと紹介されてい
る場合があります。しかし最終部分は違います。本日の聖書箇所であるダビデの言葉
が意識されているという考え方があり(11節)、私も今、その可能性があると思っていま
す。しかし、もしそうだとしたら、なぜ主イエスの祈りの最後にダビデの祈りが入ってくる
のでしょうか。 聖書物語において、ダビデが約束の救い主(メシア、キリスト)の原型とし
て英雄視されているからでしょうか? そうではないと思います。
 このダビデの祈りは、神殿(礼拝堂)を神に、盛大に奉献“するための”祈りです。奉献
“したときの”祈りではありません。なぜなら神殿奉献は、息子ソロモンが王を襲名後に
着工、完成したからです。ダビデは、後生が神殿建設をし始めるのに必要な資材を調
達する役割に徹することで、自らの生涯を閉じていきます。だとしたら、このダビデの祈
りは、後生を祝福する祈りです。後生を祝福する祈りが、主の祈りの最後の原型となっ
ていると考えられます。
 ヨハネによる福音書4章には、通称「ヤコブの井戸」の物語があります。当時のユダ
ヤ人にとって、いわば敵対種族であったサマリア人の居住地を通った際、空腹を覚えて
おられたイエス様のために、弟子たちは、わざわざ外地から食料を調達してきました。
ところがイエス様はそれを召し上がろうとせず、イエス様一行はサマリヤ人のもとに寝
泊まりすることになり、結局、彼らと食卓も共にしたと考えられます。弟子たちの労苦は
無駄だったのか…しかし、イエス様はおっしゃいます、「わたしがあなたがたを遣わすの
は、あなたがたの報酬が、じつは他の人による労苦の結果だという、人知を越えた感謝
が明らかになるためである」。(ヨハネ4:38) 私たちが礼拝から世に遣わされていくのは、
キリストによる感謝、祈り、喜びに満ちた平和を受けていくためです。(1テサロニケ5:16~18)
 だとしたら、私たちの労苦は誰の報酬になるのでしょうか。ダビデによれば、私たちの
労苦は、後生のためです。主の祈りの最終部分、“…み国も力も栄光も とこしえにあな
た(神)のもの…”とは、“…み国も力も栄光も とこしえにあなたがた(後生)のため…”と
いう代々にわたる祝福へ開かれていくのです。9月は教会学校月間です。2014年度バ
イブルキャンプで意識した「信仰のバトン」の継承にも、共に向き合いましょう。
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by hachimejibap | 2016-09-07 10:00 | メッセージ

カインのしるし

テーマ 平和
聖書 創世記4:1~16
2016年8 月21 日                 井堀 哲

8月15日が近づくと、新聞もテレビも過去の戦争の記憶(戦場の残酷さ、国策の誤り、
被爆者の体験)をたどる特集が組まれます。過去の戦争の悲惨さを確認し、二度と繰り
返さないことはとても大切なことです。しかし、きちんと記憶にとどめなければならな
いことは、私たち日本人が、アジアで2000万人とも言われる多くの人々を殺戮し、
或いは死に追いやった加害者であるという事実です。

本日の聖書箇所は、カインが弟アベルを殺すという人類最初の殺人事件です。この事件
から、まずは「カインの末裔」である私たちが一つ間違えば人を殺す存在であることを
確認したいと思います。
カインは、自分の献げ物が主に喜ばれなかったことに怒り、妬みをもって弟アベルを殺
します。自分の罪を隠蔽して自己正当化しようとするカインに(9節)、主はその罪の
大きさを説きます(10節)。殺人には多くの場合血が流れます。殺された者の血が地中
に染みこみ、殺人者に向かって叫び続けるのです。
侵略戦争・植民地支配の中でアジアで流された血の叫び(これは大地を創造した主の呻
きとも言える)に、私たち日本人は耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。

殺人者カインは罪の大きさに気づき、恐れおののきます。二度と、この世界で生きてい
くことは出来ないという絶望感です(13,14節)。しかし、主は、そのようなカインに
「しるし」を与えます(15節)。殺人者という反社会的な存在であることをラベリング
しながら、しかし誰からも命を奪われない。そのような不思議な「しるし」です。
同様に、戦後の日本に刻まれた「しるし」が憲法9条だとは言えないでしょうか。この
条文は「武力を持たず戦争を放棄し、国際社会の公正と信義に信頼することこそが、自
らの命を守るための唯一最大の手段である。」との確信に基づいています(9条、前文)。
そして、同時に日本が他国における多くの命を奪ったことの代償として、国際社会に約
束させられたものでもあります。殺人者の証であり、同時に自らの命を守るためのメッ
セージと言えるでしょう。

私たちは、自らの罪から逃れて主に顔を背け(6,7節)、自己正当化を図る者ですが、
主はそのような私たちをありのまま受け止めて「生きよ」と言って下さる方です。十字
架によって罪ゆるされた者として、過去の罪から逃げず、「罪人である私がここにいま
す。」と顔を上げて歩みたいものです。
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by hachimejibap | 2016-09-07 09:15 | メッセージ
テーマ :主の祈り
聖書 マタイによる福音書 6章12~13節
2016年8月14日                      牧師 左右田 理

 本日の聖書箇所で、“誘惑”と訳されている言葉は、“試練”とも訳せる言葉です。実
際、従来の主の祈り(1880訳)では、“試み”と訳されてきました。しかし、神の赦しの後か
ら忍び寄ってくるのは、他者を断罪する誘惑なのではないでしょうか。(マタイ18:27~33)
 仏の顔も三度まで、という言葉があります。しかし仏様の言葉ではありません。いつ、
誰がそのようなことを言い出したのかはわかりません。しかし、妙な説得力があります。
赦しにも限界がある、それは人間社会の現実だからです。赦しにも限界…だとしたら、
たくさん赦されれば赦されるほど、赦しの終わり、相手の怒った顔、そして断罪の宣言
が迫っているように錯覚してしまわないでしょうか。それこそ滅びに向けた誘いです。罪
の世の誘惑は巧妙です。断罪される不安へと閉じ込められていくとき、人は断罪する
側へ誘惑されます。断罪する側に立つことによって、断罪されなくて済むかのような錯
覚へ陥れられていくのです。
 しかし、キリストの真理において、罪が赦されるということは、イエスの十字架に顕れた
聖なる神と一つにされるということです。他者の罪、苦しみと一つになるために、十字架
に向けて突き進んで行かれたキリストの聖なる御足跡をたどるよう、その道へと招き入
れられるということです。“自分の”罪や負い目を帳消しにしてもらったがゆえに、“他者
の”罪や負い目(負担)を、新たに“自分の”罪や負い目として受けとめ直し、“共に”赦し
主の十字架を仰ぐ交わり、その輪を広げていく道です。
 今の日本の行政は、戦争ができる国を目指し、治安を平和と位置づけ、公教育では
「道徳」「公共」などの科目を強化し始めています。その先に待ち受けるのは、理解し合
える相手との結束に閉じこもり、なかなか理解し合えない相手との関係は、「排除」「断
罪」で塗りつぶされていく明日です。今こそ、私たちは主の赦しの道を告げ広めましょ
う。イエス様は、もっとも良き理解者だったバプテスマのヨハネを奪い去られたことを悲
観することなく、奪い去った者たちを悪し様に呪うことなく、逆に、当時、絶望のただ中に
あった人々の中に、「悲観的な現状を目の前にしている今こそ、共に、天の国が到来す
る明日を信じよう」、と悔い改めを訴え始めたのです。(マタイ4:12~17) その訴えに、私た
ちも主の祈りをもって応えましょう。「断罪する側へ誘惑する者から救ってください」。
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by hachimejibap | 2016-09-06 19:00 | メッセージ
テーマ 反戦平和
聖書 ペトロの手紙 一 5章8~11節
2016年8月7日                        鈴木重義

安倍内閣の主導する“いわゆる戦争法”の制定は、混迷する国際武力紛争の現実に
日本国を捲き込む危険の度を増し加え、平和憲法の形骸化は深刻である。
当教会は、この平和の危機に反対する反戦平和活動の諸グループと連帯するが、実
践の根拠たる聖書の教説を互いに共有する自覚が求められている。
(以下、「 」で記す太字は聖書の教説である。)
Ⅰ 時空を越えた基本姿勢(キリストの言葉)
A.「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マルコ12:17)…皇帝と
は、統治秩序において上位にある国家権力者と理解される。被支配(下位)の国民
は、納税の義務を果たすと共に安心・安全な生活を守られる。但し、神は皇帝も
住む全地を支配する絶対的上位にある。「人間に従うよりも、神に従わなくては
なりません」
。使徒ペトロの言葉。(使徒言行録5:29)
B.「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26:52)…「実に、キリストはわたし
たちの平和であります。…キリストは、…十字架を通して、両者を一つの体とし
て神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
(エフェソ2:14~16) 実に
キリストは剣の防禦を廃して十字架の犠牲を引き受け、命がけで愛敵の証しを全
うされたのだ。
C.「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた
自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。」
(ヤコブ4:1)
  戦争の指導者は独善的に聖戦とか正義の戦いを主張するが、実体は民族的反
目、領土的野心、経済的争いであることが多い。旧約聖書には紀元前の時代の戦
争が記述されているが、イエス・キリストが「聖書はわたしについて証しをする
ものだ」
と教え給うた。(ヨハネ5:39) つまり、剣を否定されたイエス・キリスト
の視点に従えば、時代の特殊事情に制約された戦争は否定的・批判的に解釈され
なければならない。旧約聖書の聖戦思想を現代の好戦論の口実にしてはならない。
Ⅱ 国家権力と対峙するキリスト者の姿勢
D.平時の関係にも祈る
「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての
皇帝であろうと、あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、
皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。」
(1ペトロ2:13~14)
この聖句に続く教えとして私たちは、罪から解放された”自由人”として、また”神の
僕”として生活し、行動するよう奨められている。
現代の日本人として私たちは、納税の義務を自覚し、良心的に納税する必要があ
る。同時に私たちは憲法の枠組によって整えられた平和や基本的人権や福利厚生
の諸制度により安心・安全な生活行動が守られることを要求する。
 そしてキリスト者は国の全施政が御心に適(かな)う方向に展開されるよう祈る
必要がある。
E.平和の危機や基本的人権の侵害に反対し、抵抗する場合
「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける
獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏み
とどまって、悪魔に抵抗しなさい。…神御自身が、しばらくの間苦しんだあなた
がたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいま
す。」
(1ペトロ5:8~11)
国家権力が悪魔化したとき、教会はキリストの言葉に従い、合法・非暴力を歯止
めとして非妥協的に反対し、抵抗する使命を持つ。
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by hachimejibap | 2016-09-06 18:00 | メッセージ

みんなで歌おう!共に話そう!そして一緒に祈ろう! 〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036


by hachimejibap