八王子めじろ台バプテスト教会

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父よ、お赦しください

テーマ 主の祈り⑦赦し  
聖書 ルカ23:32~43
2015年6月26日                 協力牧師 北島靖士

 イギリスのある教会で、丁度今日のわたしたちと同じように礼拝が行われていました。
その教会は大変熱心な信仰に燃えている教会でしたから、会衆は賛美歌を歌う時には声
のかぎり歌いました。祈る時には熱烈な祈りがささげられました。「主の祈り」を祈る
時にもそうでした。人々は口をそろえて「天にまします我らの父よ」と祈りはじめまし
た。「み名をあがめさせたまえ」「み国を来たらせたまえ」とだんだん高まってゆきま
した。そして「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」のところで最高調に達しました。
ところがその次の「我らに罪をおかす者を、我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」
のところで、急に会衆の声が小さくなってしまって、ほとんど聞きとれなくなってしま
ったというのです。そこには何百人、あるいは何千人の会衆が集まっていたのでしょう
か。その人びとがここに来て、沈黙してしまったというのは一体どうしたことでしょう
か。わたしたちはみんなその理由をうすうす知っているのではないでしょうか。
 その理由とは、会衆が心から熱心に祈っていたからです。ある人は「第五のこの祈り
で、わたしたちの破産を告白します。もし、この告白が嫌でしたら、その人は神に祈る
ことを止めねばなりません」と言います。会衆がおざなりにこの祈りの意味も考えずに
(わたしがいつも批判する「呪文」のように)ただ唱えているだけでしたら、会衆は主
の祈りに破たんして、沈黙することはなかったでしょう。主の祈りはスムーズに進み、
礼拝はとどこおりなく終わったことでしょう。
 会衆はここで本当は自分が「罪」を知らないものであることに気がついたのです。罪
を知らない者は自分が罪人であることを認めようとしないのです。したがって他人の罪
も許すこともすることのない自分に気がつくのです。
 ではどうしたらわたしたちは主の祈りを祈ることができるのでしょうか。上記の「わ
たしたちの主の祈りは破産している」と言った人は続けて「もし、これ(破産)を認め
ますなら、この破産が返って勝利のもとになるでしょう。なぜならこの破産は神の御手
の中に支えられているからです。」と言っています。
 十字架上で息絶えようとしているその時、イエスさまは「父よ、彼らをお赦しくださ
い。自分が何をしているのか知らないのです。」と祈られました。わたしたちは十字架
のもとに立つほかないのです。十字架のもとに立つとき、わたしたちは自分が罪人であ
ることを知り、その罪がすでに許されていることを知り、兄弟の罪を赦す勝利の生活を
歩み始めるのです。
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by hachimejibap | 2015-07-05 16:23 | メッセージ

主の霊が連れ去った

テーマ :八王子めじろ台バプテスト教会の契約 「礼典」
聖書 使徒言行録 8章26~40節
2015年6月21日 主日礼拝                牧師 左右田 理

 永遠の命とは、十字架の命の主と永遠に一つとされる、ということです。(ローマ6:3,23)
本日の聖書箇所、イエスの福音を説き明かされた宦官は喜びました。その滅び行く者
こそ救い主だったということが説き明かされて喜びました。バプテスマを受けるとすぐ、
バプテスマを授けてくれたフィリポと引き離されてなお その喜びは失われることなく彼
は旅を続けました。
 “会うは別れの始め”、という言葉があります。あきらめる、観念する、というよう
にして、どこか失意や落胆を押し隠そうとする生き様が感じられてなりません。しかし宦
官は、いわば恩人とも言うべきフィリポと別れることになっても、失意や落胆に襲われて
いませんでした。逆に、喜びに満たされたというのです。その理由は、その別れが主の霊
によって もたさられたものだったからだと思います。主の霊は、十字架と復活の主の霊
です。主を十字架上に置き去りにした者たち、見殺しにした者たち、裏切り者たちに対
して、喜びの再会を果たすために復活してくださった主の霊です。主の霊によって連れ
去られるなら、“別れは会うの始め”となっているのです、すでに。
 死は永遠の別離です。しかし死の支配を打ち破った復活の主の霊は、あらゆる命を
永遠の命に満ちた出会いへと招いてくださっています。(ローマ6:23) 永遠の出会いは、
永遠の自由との出会いでもあることでしょう。(1コリント9:18~19) この世の損得勘定で言
えば、終わりの見えない迫害のただ中にあって、持ち出しばかりで何の見返りも無いま
まに、連れ去られていった あのフィリポのように。そのまま次なる出会いに向けて招か
れていくフィリポのように。たとえ宦官が その後、二度とフィリポの姿を見ることがなか
ったとしても、それは別離ではなく、永遠の命に満ちた出会いだったのです。
 主の晩餐式の起源である主の食卓にも、永遠の自由との出会いがありました。復活
の主はパンを分かち与えるとすぐ、その姿が見えなくなりました。(ルカ24:30~31) すべて
を与え尽くす自由こそ、永遠の命を受ける自由です。私たちも永遠の命に満ちた出会
いへと招かれています、あの宦官のように。永遠の喜びの旅路を共に前進しましょう。
…わたしたちは、バプテスマと主の晩餐の二つの礼典、また聖書の教えを守ります。…
                -八王子めじろ台バプテスト教会の契約-
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by hachimejibap | 2015-07-05 16:22 | メッセージ

神から出たものであれば

テーマ :八王子めじろ台バプテスト教会の契約 「礼拝」
聖書 使徒言行録 5章33~42節
2015年6月14日 主日礼拝                牧師 左右田 理

 神学校時代、本日の聖書箇所に登場するユダヤ教指導者ガマリエルについて、「仲
介役を冷静に引き受け、神の みわざを見極めようとしている」という好評がありました。
しかし今、私は思っています。ガマリエルは「さばかれる側に立ちたくない、神の側(さば
く側)におさまり続けたい」、ただそれだけのことだったのではないか、と。
 主の十字架は、「さばき主が、さばかれる側を選びとった(フィリピ2:6~8)」、というメッ
セージです。それは、正義の見えない側、さばかれる側に“立つ”ときにこそ、すでに救
いのご支配の中にあるという福音です。(ロマ4:25) 既存の社会、共同体の秩序をはみ出し
ている側、揺さぶる側に立つよう、招かれているという信仰です。(ヘブル13:1~3)
 しかし日本社会では、既存の秩序をはみ出さないようにし、揺さぶらないようにするこ
とが、道徳的と評される場合が多くあります。少し言い方を変えれば それは、“ことを丸
くおさめる”という言い方もできましょう。もめ事を円満に解決する、争いをさけ穏便に
すませる、というような意味です。しかし十字架の主を仰ぐ礼拝に生きる民は、既存の社
会、共同体の秩序をはみ出している側、揺さぶる側に立つよう、招かれている民です。
問題解決(解消)と称して、“ことを丸くおさめ”ようとする道徳に対しては異を唱え、そ
れがゆえに“不道徳”の誹り、辱めをも背負わされていく民です。(ルカ21:16~19) そうい
う十字架の主の招きを喜び、その招きを告げ広めていく群れです。(41~42節)
 「…わたしたちは主の日の礼拝、そのほか教会の諸集会につとめて出席し、教会の
  交わりが聖なる主において一致すること、栄えることを祈ります。…」
               -「八王子めじろ台バプテスト教会の契約」より-
 聖なる主において一致する礼拝、それは十字架ゆえの誹り、辱めをも喜ぶ(誇る)こと
で一致していく礼拝です。(ガラテヤ6:14) それは、礼拝のたびに 命の主の みことばによ
って、さばかれていく私たちが、この世において さばかれている命と十字架の愛を分か
ち合うため、広く遣わされていく礼拝です。同時にそれは、キリストを十字架にかけて
しまうような、この世の さばきを さばいていく礼拝です。(1コリント6:3,7) 
 諸集会にて、みことばによって、しっかり さばかれていきましょう。この世のあらゆ
るさばきを問い直し、さばいていく群れとして共に前進していきましょう。
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by hachimejibap | 2015-07-05 16:21 | メッセージ

神によって生まれた

テーマ :八王子めじろ台バプテスト教会の契約 「教会」
聖書 ヨハネによる福音書 1章1~13節
2015年6月7日 主日礼拝                 牧師 左右田 理


 いわゆる“寺に油事件”の犯人が、バプテストという名称の教会関係者であるという
情報が流れました。あの教会は、われわれ日本バプテスト連盟加盟教会とは異なります、
と世間に弁明することは可能です。しかし、もし事実確認が保身のために掲げられてし
まうとしたら、犯罪者の間に立たれたあの十字架の主こそ、私たちの教会の主です、と
いう信仰告白は、現実的には否定されているのではないでしょうか。(5,10~11節)
 教会の起源を、聖書の歴史のどこに見いだすのか、諸説あります。しかし歴史的教
会が仰ぎ、掲げ続けてきたのは十字架の苦難の主です。ひたすら十字架の言葉を、あ
らゆる命の救いの光として、世に告げ広めてきました。(4節、1コリント11:26、マルコ15:34)
それは、神が、この世の あらゆる苦しみを通して、あらゆる命をつなげてくださるとい
う、創造のみわざを証ししていくことであり、歴史的教会は、苦難のただ中でも、「自
分たちは今こそ、平和の創造に奉仕している」という信仰の喜びに生きてきたのではな
いでしょうか。(3節,ローマ8:22)
 教会は、日々、新たに創造される命の群れです。(2コリント4:16) しかしその変化は、
決して問題解決(解消)のための、後手後手の変化ではなく、問題(を抱えた人々)や、
(異文化交流による)摩擦を、積極的に呼び込んでいくような、先手先手の変化です。な
ぜなら安定成長ではなく、積極的な自己解体、その傷み(痛み)や衰えの ただ中にこそ、
十字架の命があることをくり返し学び成長していく群れこそが、キリストの からだとし
ての教会だからです。(2コリント8:~13) 問題解決(解消)にこだわって、居心地の良さを広
げることが第一となってしまうなら、十字架の苦難の主は見えなくなってしまうことで
しょう。
諸問題が教会内で、さらには地域にも、より広く共有されていくよう、十字架の言葉で
現状を問い直し、揺さぶることをも自らの使命とする群れこそが、まことに地域に開か
れた教会であり、人知を越えた復活の主の平和に満たされていく教会です。(13節)
 本日は主の晩餐式があります。十字架で割かれたキリストのからだを象徴するパン
を共に受けましょう。世の あらゆる苦しみを贖う、十字架の主のからだを象徴するパン
を、共に分かち合うことを通して、世の あらゆる苦しみと連なる明日へと、人知を越え
た復活の主の平和に満ちた明日へと、共に遣わされていきましょう。
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by hachimejibap | 2015-07-05 16:20 | メッセージ

みんなで歌おう!共に話そう!そして一緒に祈ろう! 〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036


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