八王子めじろ台バプテスト教会

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テーマ :命のみことばは、神から世界へ、そして教会へ
聖書 コロサイ人への手紙2章14~19節
2014年3月16日

 ホームレス支援活動フィールドワークin釜ヶ崎(3/3~5)を通して、今も多くの思いめぐらしが
与えられています。ある委員の方の発言もそうでした。“日雇いの方々が、随分と自分た
ちで生活を立て上げている”、という趣旨でした。そのとき私はそれに対して、不思議な感
じを覚えていました。私には、まったくそのように見えていなかったのです。同じ委員である
のに、私には彼らの境遇を悲惨なものとして受けとめる一方だったのです。
 本日の聖書箇所から、この世のルールは何か、ということを改めて考えさせられます。
  「これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。(17節)」
 それらルールが生み出された背景に、どれほど大きい出来事や体験があろうとも、この
世のルールは、キリストの影にしか過ぎないのです。永遠不変のルールがあるわけでは
なく、ルールそのものが、ますますキリストの言葉に近づくよう、絶えず造り替えられ、改善
されていかなければなりません。この世のルールには、合否、優劣の境界線が生じます。
キリストの言葉に近づくとは、この境界線を絶えず突破しようとすることです。あるがままの
命が互いに協力し合い、互いに生かし合う、そういう社会的取り組みへと人々の注意を促
すようなルールこそが必要なのです。(19節)
 どんなに悲惨な境遇にあっても、そこに生きる命には、そして、そこに生きていた命には、
すでにまことの神、十字架の主が永遠に共におられます。そして、そのあるがままの命に
こそ、すでに永遠の命があったことを証ししてくださっています。その命に、この世のルー
ル、常識がどれほど不幸、絶望というような悲観的評価をくだそうとも、キリストの復活の
ご支配によって、それらの評価は無効化されてしまっていると言えましょう。(14節)
 フィールドワーク最終日のプログラムで、吉高 叶 日本バプテスト連盟常務理事は、“神
の宣教(Missio Dei)”、「みことばは神からすでに全世界へ、そして教会へ」、ということをお
話ししてくださいました。それは、「みことばは神から教会へ、ゆえに、教会が告げ広めな
ければ世界は悲惨、教会の言うことを聞かなければ世界は悲惨」、といったような、恐怖を
抱え込んだ世界観とは明らかに異なります。すでに全世界、あらゆる命に、神の命の力は
満ちているのです。教会は、すでにその恵みに満ちた命と命とが、手をつなぎ合う希望の
お手伝いに奉仕していけば良いのです。それこそが私たち教会の成長であり、伝道です。
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by hachimejibap | 2014-03-17 09:51 | メッセージ
テーマ : ホームレス支援特別委員会フィールドワーク in 釜ヶ崎(3/3~5)に参加して
聖書 ピリピ人への手紙4章1節
2014年3月9日

 大阪の釜ヶ崎、日雇いの方々の生活…その一端ではありますが、私はそこに立ち会わ
せていただきました。それは私にとって、忘れてはならないもののはずなのに、日常に戻
ったら、少しの痕跡も残せず、ただ霞んでいくだけなのではないか…そういう無力感、疲労
感を覚えつつ最終日を迎えていました。そしてフィールドワーク参加者による最後の話し
合いの場で、つい私は、何か“してあげたい”という衝動で口を開いてしまいました。
 本日の聖書箇所で伝道者パウロは、“愛する人よ、主にあって堅く立ちなさい”と呼びか
けます。これは、相手が黙っていてもその気持ちを察してあげよう、だとか、先回りして
手助けしてあげよう、だとか、肩代わりしてあげよう、などという言葉とは明らかに異なりま
す。律法(の先導)に依存しようとする人々に対して、“自ら立ちましょう”、という勧めです。
愚痴をこぼして待ちぼうけの状態にある人に対して、イエス様もまた、“歩み出しなさい”、
とおっしゃいました。みことばを受けて、その人自らが立ち上がるのです。(ヨハネ5:6~9)
 2日目に、カトリックの本田哲郎神父からお話しをいただきました。釜ヶ崎にある「ふるさ
との家」という日雇い労働者の支援施設を拠点にして活動している方です。ある質問に対
する本田神父のお応えが心に残っています。救いは、神さまに祈り求めたら、“なんとかし
てもらえた”というようなこととは違う!… そういう趣旨でのお応えでした。
 全日程を終え、最後の委員会で、“してあげたい”という衝動による私の発言、その安易
さもまた、明らかでした。頭ではわかっていたつもりなのに…しかしそれは、うっかりでは済
まされない危険をはらんでいます。混乱する思いをなかなか口にできず、苦闘している人
と向き合っていると、ついつい助け船を出したくなります。なかなか言い出せずにいる相手
のため、代弁(すなわち先導)したくなります。しかしそれこそが、相手をどんどん弱者へと
突き落とし、ますます弱者としてその相手を閉じこめてしまうことになる…
 私たちの教会は、本当に弱者と“共に生きていく”教会となっているのでしょうか。みこと
ばを受けて、その人自らが立ち上がる、また、自ら立ち直ることのできる教会となっている
でしょうか。
本日礼拝への招きの言葉
 みずからのために道しるべを置き、みずからのために標柱を立てよ。…(エレミヤ31:21)
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by hachimejibap | 2014-03-09 19:43 | メッセージ

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