八王子めじろ台バプテスト教会

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命の主に聞く

創世記3:1~11 (引用聖句は、日本聖書協会 口語訳聖書より)

さて、神さまが天地万物をお造りになった最初の人間、最初の男と女、アダムとイブが
登場します。
創世記3:1を見ると、蛇はイブに尋ねています。
「全部の木に手を伸ばしてはいけない、と、神さまはおっしゃったの?」
蛇の問いに対し、イブはなんとか応えようとしているようです。
創世記3:2女はへびに言った、「私たちは園の木の実を食べることは許されていますが、
    3:3ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れる
    な、死んではいけないからと、神は言われました」。
ひょっとすると、イブは責任感が強い人だったのかも知れません。「神さまはそんなにひ
どい方じゃないよ、なんでもゆるしてくださる、愛のお方なんだよ…」そう言いかかって、
さて困った。一本だけ手をつけてはいけない木があった。「なんでだろう…」

創世記3:4をみましょう。神さまを弁護しようとするイブに対して、蛇は言います。
「もし食べたとしても、死ぬわけないじゃん」
神さまが毒物をあらかじめ備えておられるわけはありませんから、
これにはイブも返す言葉が無かったのではないでしょうか。
さらに蛇は畳みかけるようにして言います。
創世記3:5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を
       知る者となることを、神は知っておられるのです」。
まるで今まで神さまが隠しごとをしていたかのような言い方ではありますが、
蛇の微妙な言い回しは、嘘をついているとまでは言い切れないように思えます。
創世記3:6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ま
       しいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、
       彼も食べた。
こうして、蛇、そしてアダムとイブは、せっかく神さまが満たしてくださっていた命の祝福
から脱線していってしまいます。命の祝福から外れてしまうこと、それはまったくの
的外れです。すなわち罪へと堕落してしまったのです。

しかし、それにしてもいったい、何がいけなかったというのでしょうか。
イブは一生懸命に神さまのために弁護をしていましたし、蛇にも、それなりの言い分はあ
るでしょう。
一つ、端的な事実があります。それは、誰も神さまに対して直接尋ね求めようとはしなかった、
ということです。そもそも神の戒めを巡ってやりとりが始まっていたはずです。
ところがすべての原点である神さまご自身が最初から最後まで呼ばれていないのです。
蛇もイブもアダムも、誰も、神さまのお越しを待つことなく事態が展開してしまったのです。


ここで本当の賢さについて考えさせられます。
本当の賢さとは、なにごとでも、まずは命の主に尋ね求める、ということではないでしょ
うか。人に何かを尋ねるときも、また逆に、人から何かを尋ねられたときにも、まずは命
の主に聞く、私たちには、それがゆるされているのです。
求め、探せ、叩けと仰せくださった主イエスになんでも尋ねもとめて良い、祈って良い、と
いうことを忘れてしまうこと、それこそ本当に惨めなことではないでしょうか。
日々、主に支えられている者として、主に生かされている者として、
豊かな明日を信じて共に歩んでいきましょう。
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by hachimejibap | 2011-06-03 10:22 | メッセージ

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