八王子めじろ台バプテスト教会

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天来の祝宴

 詩篇 23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしの
      こうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。

                    日本聖書協会 口語訳聖書より
 
 太平洋戦争中、日本では「英語は敵国の言葉だから使ってはならない」と言われました。
そこで野球などでも「セーフ」、「アウト」などという単語を口にすれば裏切り者、非国
民呼ばわりです。「セーフ」のかわりに「よし」、「アウト」のかわりに「だめ」…現代
の子どもたちが聞いたら、大笑いしてしまうような会話が大まじめに、日常的に強制され
ていきました。
 このように戦争は、互いの敵意を煽って、言葉をはじめ世界各地に満ちている文化や命
の豊かさを抑圧します。だのに最近では文化、自由、平和を守るために戦争できる国にな
りましょう、などというおかしな考え方が、まことしやかに世の中に出回ってきています。
恐ろしいことです。

 本日の聖書箇所は、軍人として多くの戦争を体験して、イスラエルの王となったダビデ
が詠んだものです。ダビデは歌います、神様は私たちのために、敵の目の前で宴会を開い
てくださる、私たちの杯を、祝福の油で満ちあふれさせてくださる、と。
 軍人として多くの人を殺してきてしまったダビデは飢え渇いていたのではないでしょう
か。敵と出会ったとき、その敵とも素晴らしい平和の出会いができていたなら、どんなに
素晴らしかったことだろう。きっとそれはどんな食べ物、飲み物よりも、ずっとずっと私
を元気にしてくれることだろう、私の魂は生き返ることだろう…。そうだ、神さまになら、
それができる、全能の神さまは、きっとそういう平和を起こしてくださる。…
それは、敵との遭遇すら、祝福との出会いへと造り替えてくださる神さまのみわざです。

 エペソ人への手紙2:16には、キリストの十字架について次のような記述があります。
   ~十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、
   敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。~


 神さまの霊が天から注ぎ満たされた時、ダビデには天から降り注ぐ祝いの宴、その中心
にお立ちくださる十字架の平和の主イエス・キリストが、やがて現れてくださるそのお姿
が見えたのでしょう。人種、性別、国や地域など、あらゆる違いをお互いに喜び合えるよ
うな、まことの文化的自由、平和を、キリストに期待しつつ、多くの方々に告げ知らせて
いきましょう。
                    2010.8月のメッセージより
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by hachimejibap | 2010-08-27 17:57 | メッセージ
 去る7月24日(土)、猛暑の中教会の日帰りバイブルキャンプが行われました。
場所は八王子市上恩方にある「夕やけ小やけ ふれあいの里」
テーマは、〝 讃美歌を歌おう″です。

 午前中は賛美歌についての学びと分かち合いでした。 
教会はその始まりから、歌う共同体でした。讃美の多くは旧約聖書の中にある詩篇にさ
かのぼります。多くの讃美歌も、じつはそういう聖書の御言葉からの、多様なパラフレ
ーズ(書き直し)やヴァリエーション(変奏曲)なのです。
神様への賛美の言葉は、普通に語ったり、述べたりするだけでもよいはずなのに、なぜ、
わざわざ韻文(詩)にして、音楽の助けを借りて歌うのでしょうか。
それは神の民が〝共に祈るため″なのです。
祈りは個人個人のものですが、同じ歌詞、同じ旋律にのせて歌にすると、それは教会の
共同の祈りになるのです。
 つまり讃美歌は、教会が一つ心になって捧げる祈りなのですね。
学びのあとは、皆の愛唱歌とそれにまつわる思い出などをわかちあいました。

 さて昼食の後は、〝お楽しみ″スイカ割りと川遊びです。
夕焼けの里には、家族が遊ぶのにちょうどいい小さな川があります。
豊かな緑に囲まれた川は水もきれいに澄んで、かわいいお魚たちの魚影もちらほら。
子供たちは水に向かってまっしぐら、大はしゃぎで遊びます。
それを見ていた大人たち、なにしろこの酷暑ですからね、
たまらず一人また一人と水に足を踏み入れていきます。
   冷たくて、気持いい~~

 楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。
終わりの会では、子供たちが、力作のぱくぱく人形とうちわを披露してくれました。

讃美歌について共に学び、たくさん歌って、自然の恵みにほっと一息―――
充実した一日が与えられたことを感謝します。
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by hachimejibap | 2010-08-01 21:38 | 活動報告

永遠の命に向かう祈り

2010.7.25礼拝宣教 

聖書箇所 詩篇 第22章1節
「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたし
を助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。」

                    日本聖書協会 口語訳聖書より
宣教メッセージ
本日の聖書箇所は、旧約聖書に登場しますダビデの祈りの歌です。
ダビデはこの時、絶望の淵にありました。敵ばかりか味方までダビデに敵対しているの
です。誰にも理解してもらえず孤立し、すべてが無駄となってしまうのではないかとい
う不安、苦しみによって、ダビデはうめき、叫んでいたのでしょう。

救い主キリスト・イエスは十字架上で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨て
になったのですか (マタイ27:46)」と叫びつつ、息を引き取られました。神の子であるのに
、救い主として世にこられたのに、恩を仇で返され殺されてしまった、すべてが無駄で終
わってしまったかのように見えるご生涯…。
けれどもイエス様の十字架上の叫びは、同じくどん底にあって叫んでいる人にとって、救
いの夜明けです。苦しんでいるのは自分だけではない、自分は決してひとりぼっちではな
いということに気づかされ、キリストが自分の傍らにいて下さるという励ましと希望が与
えられるのです。

神様は、わたしたちの労苦を決して無駄にすることはありません。
今のあなたのあるがままの姿、今抱え込んでいるうめきや叫びは復活のイエス様にあって
決して無駄になることはありません。無駄にならないばかりか、やがて他の人々を慰め、
励ます神の器として豊かに用いられることになる、そういう希望へと結びあわされていく
でしょう。
キリスト・イエスを信じ、あらゆる思いを包み隠すことなく祈りつつ、新しい一週間へと
踏み出していきましょう。
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by hachimejibap | 2010-08-01 21:20 | メッセージ

みんなで歌おう!共に話そう!そして一緒に祈ろう! 〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036


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