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八王子めじろ台バプテスト教会 hachimejib.exblog.jp

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神の業が現れるため

テーマ 救い
聖書 ヨハネによる福音書 9章 1~7,21~22,32~41節
2019年3月17日    主日礼拝               牧師 左右田 理

 主イエスは世を裁くために来たのでしょうか?神の業が現れるため(3節)というのは、
救いが現れるためではないのでしょうか?実際、別の記述(12:47)として、主は世を裁く
ためではなく救うために来たと証しされています。にもかかわらず本日の39節で裁くた
めに来たと証しされているのはどういうことでしょうか。世の光イエスが共に いる間は、
私たちの業が神の業として照らし出されます。(4~5節) それが救いだとしたら、主(の言
葉)を拒むとき(12:48)、目の前に神の業が現れているのに見えなくなる、神の業だと認
識できなくなってしまう、それこそ裁きなのではないでしょうか。(15:22)
 主の十字架は神の業の成就であり(19:28~30)、私たちの業が神の業となっていく十字
架の道を照らし出す光です。本日の聖書箇所で主によって目が開かれた人の前には、
十字架の道がどのように照らし出されたのでしょうか。まず最初に彼が目にしたのは、
いわゆる身内の“和”は命を救ってはくれなかったということです。(21~22節)  古今東
西、身内や仲間内による情愛や結束が、この世の秩序によって裁かれようとしている命
を救うどころか、その断罪に協力することも珍しくありません。(戦時中の隣組) 彼の前
に照らし出された十字架の道は、この世の秩序、安定からの解放でした。(マタイ 19:29)
 次に彼が見たのは、裁かれる側に立つことによる救い主との出会いです。(34~37節) 
弟子たちが主イエスに、彼の目が見えない原因を尋ね求めたのは問題解決を図りたい
善意からでしょう。(2節) とはいえ原因究明することで、いつの間にか神の側、裁く側に
立ってしまっていた弟子たち…しかし、やがて彼らの前にキリストの十字架が現れまし
た。すなわち救い主が犯罪者の一人として、裁かれる側にお立ちになったという神の業
が現れたのです。
 目に見える世界に於いて救われた者とは裁く側に身を置くことのできた者です。十字
架に上げられた晒し者は、誰の目にも裁かれた者、救われなかった者です。けれども
主の十字架は、裁かれる側にこそお立ちになる救い主を照らし出します。(5節) 救いの
見えない裁かれ行く者の側に立つ救い主です。(39~41節) 十字架の救い主を認める者
は、天に昇られた主を見ます。そして自分を裁いた者たちのために最期まで赦しを祈り
求める生涯が照らし出されるのです。(使徒7:55~56,59~60)


by hachimejibap | 2019-03-22 10:35 | メッセージ