幼子、乳飲み子の口によって
2018年 12月 15日
テーマ 賛美
聖書 詩編 8編 1~10節
2018年11月11日 主日礼拝 牧師 左右田 理
賛美とは神の“みわざ”に圧倒されることです。森羅万象が“みわざ”として迫り全身全
霊が楽器のように打ち鳴らされます。(2節) そしてすべてが“みわざ”として迫るとき、自
分(の力)で生きているのではなく、生かされていることに気づかされます。賛美は、神に
生かされているという実感です。生かされているという実感を全身全霊で受けとめてい
るのは乳飲み子、幼子です。おとなになるに連れ、生かされているという実感が失われ
ていきます。賛美とは乳飲み子、幼子をかたち造る霊に満たされつつ、生かされている
恵みが実感せしめられる出来事です。復活の力です。賛美を捧げるとき、すでに神の国
に生きているのです。(3節a、マルコ10:35)
生かされていることに気づいたなら、“生きること(存在)がゆるされている”という感謝、
喜びで満たされます。さらにその感謝と喜びが満ち満ちて、あふれ出るなら、森羅万象
にまで、そのゆるしが満ちることを祈ります。森羅万象というからには自分を悲しませる
ような存在、苦しめるような出来事も含まれでしょう。賛美は、自分を悲しませ、苦しめる
相手も自分と共にその存在がゆるされていくこと、共に生かされていくことを喜び、祈り、
感謝する力となるのです。(3b~4節、マタイ5:44~45、1テサロニケ5:15~18)
賛美は、人が神より少し低いものとして造られ、神の威光の冠にあずかり、森羅万象
を治める存在とされている恵みを思い起こさせてくれます。(6節) 森羅万象を治めると
いう人の威光については、神の子イエス・キリストが十字架の栄光を指し示してください
ました。(マタイ18:4、23:11、20:28) 羊や牛が、野の獣が、空の鳥、海の魚、海路を渡る
ものが養われるよう、人が身を低くして仕え、命を捧げていくところに神の威光が満たさ
れ、天の冠が授与されるのです。(7~10節) 主を賛美せよ!
やがて世界は一つになります。世においてもっとも低くされた主、十字架に上げられた
イエス・キリストのもとにあらゆるものが、天も地もすべてが集められるのです。その救
い(エフェソ1:10)を共に賛美するために。十字架の主のもとでは、あらゆる合否、比較優劣
を生むルールが廃棄され、あらゆる敵対関係が無効となるでしょう。すべてがキリストの
もとでゆるされた存在、生かされている存在として和解し、一つになるのです。「…天に
おられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。」(マタイ6:9)