八王子めじろ台バプテスト教会

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神を見いだす

テーマ 教会学校月間
聖書 使徒言行録 17章 16~34節
2018年9月16日    教会学校月間  主日礼拝       牧師 左右田 理

 アーメン、ソーメン、冷やそうめん…子ども時代にこれを聞かされるたびに、私はやた
ら義憤に駆られていました。「神さま、イエス様はスゴいんだぞ!」…クリスチャンではあ
りませんでしたが、妙に気負っている自分がいました。本日の聖書箇所でも伝道者パウ
ロは憤慨しています。(16節) そして神さまについて熱く訴え始めるのです。相手が聖書
の神を知っているか否かを越えて。(17~18節) さながらパウロの“教会学校”です。そし
て“教会学校”は「万物の創造主を見よ!」から始まりました。(23~26節)
 パウロは熱く訴えます。「(神は)何か足りないことでもあるかのように、人の手によって
仕えてもらう必要もありません。」(26節) すなわち神のご支配は唯我独尊、人間界も自
然界もその歴史の一切が(お釈迦様の手のひらで踊らされる孫悟空のごとく)、神によっ
て自由自在に動かされているに過ぎない!そして、神こそ時代、地域を越えたあらゆる
命の統治者、主権者であるという真実に向けて世の無知を悔い改めさせ、正すための
裁きの日がついに来る、復活の主イエスによって来る!(30~31節)
 もしパウロが、全能者キリストにひれ伏す会衆の姿を予想していたなら、それはまった
くの期待外れでした。主の復活の宣言を通して皆が神を見いだすどころか、多くの者が
嘲笑って立ち去りました。(32~33節) パウロの“教会学校”は失敗だったのでしょうか?
違うと思います。十字架の主の叫びに聴く“教会学校”へ進歩したのではないでしょう
か。(マルコ15:34) さらに十字架の主から託される使命を分かち合う“教会学校”へと進歩
したのではないでしょうか。(2コリント11:23~29) 涙色のパウロの後ろ姿こそが、十字架に
現れた神を見いだす“教会学校”を生んだのではないでしょうか。(33~34節)
 パウロは当初、知られざる神(23節)が、知ったら誰もが敬服、称賛するような神として
皆に見いだされていくことを期待していたことでしょう。しかし本当は、誰からも知られる
ことなく、うち捨てられていく命の傍らに立つ神だったことを、自ら見いだしたのではない
でしょうか。だとしたらパウロの“教会学校”は他者を造り替えるためでなく、十字架の主
の御前に自分の方が新しく創造されていく“教会学校”でした。(2コリント4:16) 教会学校は
涙を造り替え世を喜び一色にする神を見いだすのでしょうか。それとも涙の出会いの喜
びを創造し、その涙の出会いを世に広げていく神を見いだすのでしょうか。(ローマ12:15)


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by hachimejibap | 2018-10-04 14:00 | メッセージ

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