八王子めじろ台バプテスト教会

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平和を実現する人々は幸いである

聖書 :マタイ福音書26章47~54節
中心聖句 :マタイ26:51~52
2018年8月19日  主日礼拝                  鈴木 重義 
                 
 そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかって片方の耳を切り落とした。そこで、イエスは言われた。「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。・・・」
 裏切者ユダの先導により、祭司長以下の一群の捕り手が主イエスを取り囲んだ。そのとき、イエスの側にいた者の一人が、大祭司の手下に打ちかかり、片方の耳を切り
落とした。・・・この場面についてヨハネ福音書18:10では、この者は、他ならぬシモン・ペテロだという。彼・ペテロは最後の晩餐の場で「たとえ、御一緒に死なねば
ならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と主イエス
に決死の意志表明をしていました。
 そのため、捕り手に囲またとき、ペテロは主イエスを助ける思いで剣を抜いたと想像することができるのでしょう。然し、この場面で、異なった推測もできます。剣や
棒を持った多勢の捕り手に囲まれたとき、ペテロは主イエスを守ろうとして、死ぬ気で勇敢に剣を振ったのだろうか?と疑問を呈してみましょう。
宗教改革者ジョン・カルヴィンは、この場面のペトロについて「この男は、一見、
自分の弱さを忘れて、主イエスを身をもって守り、仕えているように見えるけれども、
彼が、ここで選んだのは滅びでしかなかった」と述べています。
 主イエスは、ペトロの危うい心を見抜いたように「剣を鞘に納めなさい。剣を取る
者は皆、剣で滅びる」と制止の声かけ給いました。主イエス御自身は、仮りに戦うなら天の神は12軍団以上の天使を派遣することができる、との確信を持ちつつも断乎
として平静に捕縛を受け入れました。これは、十字架への道に連なっています。その
剣と不法を受け入れる、一見、弱さ(・・)と見える主イエスの御姿は、万人に救いの道を開
く愛(・)の(・)強さ(・・)を秘めた御姿でした。
(Ⅱコリント13:4 キリストは弱さのゆえに十字架につけらましたが、・・・・)
 さて、聖書の文脈で知る限り、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」の一言は、十字架
への道を進む主イエスだけが宣告できる言葉にちがいありません。
 けれども、この御言葉は「平和を実現する人々は幸いである。」(マタイ5:9)と連関して、反戦平和を奨励する御言葉として、キリスト者間で尊重されています。
古来、人類の歴史に戦争は付き物でした。そして、勝利した国家権力が紡ぐ歴史において正義の戦争の大義名分は、概ね手前味噌に粉飾されたものでした。
 ヤコブ4:1~2 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなた
がた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。・・・・
ところで最近の北朝鮮・アメリカ両国の核・ミサイル問題をめぐる外交的確執が極限まで暴走してきた愚かな出来事を思い起してみましょう。核ボタンを押す国家権力者
が人間性を喪失した暴発寸前・地球的規模の緊張状態を惹起した出来事をお互いに体
験しました。この間、メディヤで知る限り、日本社会では、多くの人が核戦争に巻き込まれる不安を増幅させ、世論でも、防衛戦力強化を必要とする声が高まりました。そこに便乗して防衛大臣も防衛システム強化、米国製新兵器購入の予算計上を発表しました。
 このような事態に直面し、日本国に生きるキリスト者として、私たちはいかに対応
すべきでしょうか。この場合、私たちを困惑させるのは、パウロのローマ書13:1です。
 すべての人間は、上位にある権威に服従しなさい。神によらない権威はないからであり、存在している権威は神によって定められてしまっているからである。
(岩波書店版・青野太潮訳)
ここで、「上位にある」とは、天的、超越的な上、絶対的な上ではなく、地上的・相
対的な上でしかありません。それ故、上位と訳すのが、適訳となるのです。
権威とは、直接的には国家権力を意味しますが、その統治能力は、神の容認と委託を
受けたものとしての国家権力であり、その限りにおいて権威なのです。国家権力は、人が構築した統治機構でありつつ、見えない超越的な支配力をもって、神意が許容する範囲で国家統治をするべきです。その意味で国家権力は、相対的に善政(・・)を担います。但し、時に、その超越的な支配力は神意に背き、その許容範囲を逸脱し、堕落し、その極限として悪魔化し反キリストの牙をむくこともあるのです。(ヨハネ黙示録13章:ローマ皇帝礼拝の迫害)
そのため「権威に従う」とは、無気力な絶対的服従ではなく、キリスト者として、
良心的に従うことが求められます。別言すればキリスト者が良心的に従うとは、神の
御心に従う延長線上で、国家権力にも従うということです。そのため、パウロは、弟
子テモテに「願いと祈りと執り成しと感謝とを、すべての人々のためにささげなさい。
王たちやすべての高官のためにもささげなさい」(Ⅰテモテ2:1~2)と奨めています。
 このようなキリスト者の執り成しの祈りは、国家が、善政に値するか否かを問わずにささげるべきでしょう。仮りに、国家が反人権、反平和の悪虐を強めるような事態でも、祈りの責任は減退することなく、寧ろ、深刻化します。ペテロ第一書は悪魔的な国家権力の極限状態で良心的に従う祈りに生きる姿をキリスト者に教えています。
 Ⅰペトロ2:13~14 主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが統治者としての皇帝であろうと、あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。
 Ⅰペトロ5:8~9 身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔がほえたける獅子のように、誰かを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。
 このように種々相を見せる国家権力に祈り人(・・・)として対峙するキリスト者は、国家権力と距離をおき、近視眼的な判断や行動で混迷に巻きこまれる愚を戒め、冷静に、是々非々主義に生きなければならないでしょう。そして、あるときは非協力、あるときは反対声明そして、あるときは〝デモ“を、しかし、バプテストとしては、あくまで、人権尊重反戦平和の基本線に沿って決断的に、非暴力的に実践したいものです。
 話を核戦争の危機に対峙するキリスト者の問題に戻しましょう。
 古来、戦争は、人間に、人殺し、その他あらゆる残虐行為を強制し、人は非人間化させられることに不感性になってしまいます。今や、現代戦争は相互に国家全滅的消耗戦になるのが常です。そして地球崩壊的な核兵器の大量拡散は、地球規模の〈恐怖の均衡〉を現出し、ある意味、不安定な平和が保たれているに過ぎません。そこで、
私たちは、地球上に吹き荒れる政治的・軍事的旋風に振り回されず、天からの神の声
に傾聴すべきです。昔、アッシリアの侵略の魔手に怯えたイスラエルに告げられた
神の言葉の中の一句に耳を傾けましょう。
 イザヤ30:15 まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた
「あなたたちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼してい
ることにこそ、力がある」と。
                                 アーメン



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by hachimejibap | 2018-09-06 14:30 | メッセージ

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