人気ブログランキング | 話題のタグを見る

神の愛が私たちの心に

テーマ 愛
聖書 ローマの信徒への手紙 5章 3~11節
2018年7月22日    主日礼拝              牧師 左右田 理

 “苦難”(3節)とは迫害です。キリストを主と信じ、従うがゆえに受ける攻撃です。しかし
伝道者パウロによればその被害は“誇り”となります。その被害が大きければ大きいほ
ど、豊かな誇りとなっていきます。それは苦難の中でこそ神の愛が豊かに、私たちの心
に注がれるからです。(5節) 苦難の中で私たちの心の中に豊かに描き出され、映し出
されてくる愛…それは十字架の愛でしょう。(ガラテヤ3:1、6:12) 苦難が大きければ大きい
ほど主の十字架が自分に対する神の愛の迫りとして心に映し出され、描き出されてくる
…被害に遭っている自分はどれほど主イエスに近い存在とされていることか…誇りと喜
びに満ちてくる…これは伝道者パウロの生涯にわたる原体験と言えましょう。
 とはいえ苦難は いきなり誇りとはなりません。苦難から忍耐、忍耐から練達、そして練
達から希望が生み出されてくる過程で誇りとなっていくのではないでしょうか。(4節) そ
して希望は私たちを裏切らない、とパウロは断言します。(5節) この希望も愛の場合と
同様、十字架の希望でしょう。十字架の希望の第一段階は、神の忍耐から始まります。
主を裏切り、いわば信仰を捨てた弟子たちを愛し、受け入れた神の側の忍耐です。(ルカ
22:31~32) 信じない者たちをなお愛し、受け入れた忍耐です。この愛が私たちの心に注
がれているなら、信仰の有無などあらゆる違いに囚われることなくあらゆる命を愛し、迎
えようとする神の忍耐が私たちの内にも宿るでしょう。(6~8節)
 十字架の希望の第二段階は、神の“実証”から始まります。(“練達”は“実証”とも訳せ
る新約聖書ギリシャ語) 主は十字架から降りて反逆の民を成敗するようなことはなく(マ
タイ26:52~54)、神は十字架の主の死の向こうに復活の希望を実証してくださいました。そ
れはあらゆる敵意を愛へと招き入れるキリストの明日です。(マタイ5:43~44) この愛が私
たちの心に注がれているなら、世がキリストから義を賜わり、神の怒りから救われ、神と
和解する明日を信じる信仰で私たちは練達されていくことでしょう。(9~10節)
 そして十字架の希望の最終段階は、ひたすら世の救いを希望してくださる主によって
成就します。(ヨハネ12:47) それは相手の非を問うことなく和解の可能性のみを問う愛で
す。(2コリント5:19) この愛が私たちの心に注がれているなら、与え尽くして報われなかっ
た生涯を全うされた主こそ自分たちの生きる喜び、生きる誇りとなるのです。(11節)


by hachimejibap | 2018-07-22 13:00 | メッセージ

〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036  礼拝(日)AM10:00~12:10              祈り会( 水曜日 午前10時~11時20分


by hachimejibap