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舟に乗って向こう岸へ

テーマ 信仰
聖書 マルコによる福音書 8章 11~21節
2018年7月8日    主日礼拝              牧師 左右田 理

 当時の指導者たちの“パン種”…それは、どんどん膨れあがっていく何か悪いもの…
マタイによる福音書にある並行記事では、“パン種”は当時の“教え”です。(マタイ16:12) 
しかし本日のマルコによる福音書では、主イエスが「悟れ」とおっしゃって終わりです。な
らば私たちも悟らなければならないでしょう。“パン種”とは“教え”なのか、だとしたら“教
え”とは何なのか…
 主イエスは弟子たちに“パン種”について注意喚起する直前、指導者から“天からのし
るし”を要求されていました。(11節) 主イエスの賛美と感謝の祈りにより、わずかな食
べ物が大勢の人々の空腹を満たしたという不思議な出来事(マルコ6:42、8:8)は、指導者
にとって“天からのしるし”とは関係なかったのです。天からのしるしとは神からの証拠で
あり、神の裁きです。指導者たちは“自分たちよりもおまえの方が正しいという証拠を出
してみろ”と主イエスに挑戦していたのでしょう。しかし神の裁きを比較優劣、隔ての壁(エ
フェソ2:14)として決めつけているなら、天からのしるしは無いのです。(12節)
 主イエスは指導者たちを後にして、向こう岸へ渡ります。(13節) しかし舟の上でも弟
子たちは、パンを準備していなかったことが悪かったのかと、自分たちの善し悪しに囚
われているのです。(16節) 主は弟子たちを叱責します。主の共食により、わずかな食
べ物で多くの人の空腹が満たされたとき、パンを持っていたか否かなどは何ら問題にな
らないことは一目瞭然だったではないか、と。(17~21節) 主との共食には、人が“持って
いる”、“持っていない”をはるかに越えた恵みの しるし があったのではないでしょうか。
古今東西、社会的な条件、資格などを“持っている”、“持っていない”によって、比較優
劣、合否など隔ての壁が四方八方に張り巡らされてきています。けれども主の食卓は、
“持っていない”ところにこそ無限の恵みが実現する天からのしるしだったのではないで
しょうか。<イエスは言われた、まだ悟らないのか。>
 主の不思議な共食で集まった五千世帯、また四千世帯もの人々は、主と向き合うた
めに集まった人々です。主の食卓ではお互いの素性、社会的条件、資格を知る必要な
どありません。主を仰ぐ場や主の食卓で出会った人々はすべて、救い主の祝福のもと
にあることを子どものように信じれば良いのですから。(マルコ10:13~16)


by hachimejibap | 2018-07-19 17:30 | メッセージ

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