人々が満腹したとき
2018年 06月 03日
テーマ 悔い改め
聖書 ヨハネによる福音書 6章1~15節
2018年6月3日 主日礼拝 牧師 左右田 理
本日の聖書箇所は、いわゆる“五千人の共食”の物語です。新約聖書の四福音書
すべてに並行記事があります。しかし本日はヨハネによる福音書の特徴的な部分から3
点を意識したいと思います。
A.捧げる
この物語は、わずかなパンと魚が主イエスの祝福により“男”五千人を満腹させるに
至ったという描写です。女性、未成年など成人男性以外の存在が軽んじられていた当
時の社会的現実がこの物語にも映し出されています。そして他の福音書では五つのパ
ンと二匹の魚の提供者は不明です。ところがヨハネによる福音書では、主イエスの祝福
に向かって捧げた人物が描かれています。無駄呼ばわりのただ中でパンと魚を捧げた
少年です。(9節) これは物語“ナルドの香油”の女性マリアに通じる姿です。(ヨハネ12:3~8)
B.少しも無駄にならないように
「…残ったパンの屑を集めなさい」(12節)…この主イエスの言葉を“モノ”を大切に有効
活用しましょう、と解釈するなら、物語“ナルドの香油”のマリアは失格者になってしまうで
しょう。(ヨハネ12:3) しかし主イエスは、人の目に無駄なことをこそご自分の葬りの備えと
して肯定されるお方でした。(ヨハネ12:7~8) そこには需要と供給に役立たない捧げもの(ヨ
ハネ12:5)を無駄と見なさない、また見なさせまいとする救い主の意志を感じます。本日の
聖書箇所で人々は満腹しています。少年にとって精一杯だったであろう捧げもの…しか
し人々は忘却の彼方に葬り去っていくであろう捧げもの…だからこそパンの屑を集めさ
せ、その無駄こそが祝福となったことを証ししたかったのではないでしょうか。
C.人々の王(庇護者、保護者)となることを拒む
“今の充実”を守る庇護者、保護者を欲する民心(ヨハネ6:26)に主は応えません。(15節)
命の主の御旨である“終わりの日の復活”に応えます。(ヨハネ6:38~39) それは他者を生
かすために捧げられた命に、十字架の主の栄光が満ちあふれる日です。(ヨハネ6:54、12:
23~25) 私たち教会は自分たちの庇護者、保護者としてのイエス像を葬り、復活の主と
他者(後生)との出会いのためにすべてを捧げていく群れとして、絶えず新しい明日、新
しい出会いに向け、共に前進していきましょう。