八王子めじろ台バプテスト教会

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躍り上がって立ち、歩き出す

テーマ 賛美
聖書 使徒言行録 3章1~9節
2018年5月13日    主日礼拝              牧師 左右田 理

 新約聖書には、身体的、精神的ハンディを負った人たちが、周囲からの施しで生きて
いた現実が描かれています。欧米などの“貧しい者に施すことは富める者の務め”とい
うチャリティー精神の歴史的起源を、当時のイスラエル社会に見ることもできましょう。
(箴言28:27) そしてハンディによって貧しさの中にある人々にとってそれは、施しを受け
ることは当然の権利だということを意味するでしょう。だとしたら本日の聖書箇所で身体
的ハンディを癒された人は施しを受ける社会的権利を失ったことになります。本日の聖
書箇所で賛美は、“してもらう権利”の終わりとともに始まるのです。
 では賛美を通して、いったい何が始まるのでしょうか。“躍り上がって立ち、歩き出す”
のです。どこに向かって?主の名によってこの世で裁かれる者の側に連なる場に向か
って。そして十字架の主こそ癒しの主であることを証しする場に向かって。(使徒4:14)
賛美は癒しをもたらすと同時に、十字架の苦難の主へ招きでもあるのでしょう。この点
については福音書からも聴きましょう。使徒言行録の前編に位置するルカによる福音
書(ルカ1:3、使徒1:1)では、人知を越えた招きとして、十字架の苦難の主に向かう歩みが
描かれています。(ルカ23:26) 側近の弟子たちの固い決意でも、十字架の苦難の主に従
うことは全うできなかったわけですが、神の招きが、人の服従を成就させてくれたのでは
ないでしょうか。(ルカ9:23) ここに賛美があります。本日の聖書箇所で癒された人も期せ
ずして、主の名によってこの世で裁かれる者の側に迎え入れてもらったように。
 賛美への招きは神のみわざとして始まり、神のみわざとして成就します。そしてそれは
“してもらう権利”を持たない外国人が招き入れられる癒しでもあります。その国、その
社会、その共同体のルールで裁かれてしまいやすい よそ者が招き入れられる癒しでも
あるのです。(ルカ17:17~18) 初代教会は賛美がもたらすその癒しを受けるために、同胞
ユダヤ人の特権意識(安息日規定、割礼主義)から解放され、“してもらう権利”、“救わ
れる資格”を持たない者たちを覚える異邦人伝道に向けて“躍り上がって立ち、歩き出
した”のでしょう。賛美は満足、安住ではありません。十字架の主の招きに応える歩み
です。その歩みのただ中で味わう幸いです。(使徒20:35) 私たちも主の招きに応える幸
いをもって大いに賛美しましょう。


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by hachimejibap | 2018-05-19 17:30 | メッセージ

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