八王子めじろ台バプテスト教会

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パンを取り、賛美の祈りを

テーマ 賛美
聖書 マルコによる福音書 14章22~26節
2018年5月6日    主日礼拝              牧師 左右田 理

 主イエスはどういうときに賛美をなさったのか…福音書では共に食事をするときに賛
美をなさるお姿が印象的です。本日の聖書箇所でも、いわゆる“最後の晩餐”と呼ばれ
る食卓を囲んでいるところで賛美をなさっています。そして大切なことは、この食卓の行
く末に待っていたのが、十字架の死だったということです。
 「十字架から降りて自分を救ってみろ。…」(マルコ15:30~32) 迫害者たちの言い分はこ
うだったのではないでしょうか。“当人が救われていないのに、人を救ったなどというの
は本当なのか…” しかし、主イエスによって救われた、と喜んだ人々は大勢いたはず
です。見えるようになった人、歩けるようになった人、患いを癒された人…(ルカ7:21~23) 
ところが主が十字架に掛けられたとき、その中の誰もその傍らにいませんでした。マル
コによる福音書では、主を罵る人以外、誰もそばに居なかったのです。賛美の食卓の
先で主を待ち受けていたのは、厳しい孤立、激しい疎外感だったのではないでしょうか。
 死は孤独です。永久の別れ、と表する人もいます。いつの日か誰もが強制的にこの孤
立、疎外感に追いやられるのです。しかし賛美には力があります。(詩編147:1~3) 崩壊
した社会、共同体を建て直す力があります。散らされ、離ればなれになっていた人々を
呼び集める力があります。孤立、疎外感で心傷ついていた人々を癒し、包み込む力が
あります。だからこそ主は、十字架に進んでいくあたって賛美に身を委ねたのではない
でしょうか。賛美に身を委ねるとは、滅びゆく先に復活を見る喜びです。孤立の果てに
無限の再会を見る喜びです。傷つけられた者どうしが神の愛で包まれ、結び会わされ、
一つにされていく明日を見る喜びでもあります。主は最後の晩餐においても力の主、賛
美に身を委ねきることのできた力の主でした。
 主の食卓で割かれたパンは十字架で裂かれた主のからだを象徴します。また分かち
合われる杯は十字架で流された主の血を象徴します。一つのパンから分かち受けた者
どうしは、キリストのからだにおいて一致して生きる者と定められているのです、すでに。
(22節) また杯を共に受けるとき、多くの命に約束された永遠の再会に向かって生きる
ことがゆるされているのです、すでに。(24節) いつくしみ深い主のからだと血を共に受
け、永遠の賛美、永遠の一致、永遠の平和へと共に進みましょう。


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by hachimejibap | 2018-05-19 17:00 | メッセージ

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