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わたしは復活であり、命である

説教要旨    吉村知子(2018.4.15)

導入:教会墓地の墓標に刻まれた「永遠の命」の四文字は、証しの言葉。 

I. 死の狭間で行われた「ラザロの復活」:
ラザロの復活はイエスの7つ目の奇跡であり、最後の奇跡である。そして
死の脅威のもとで行われた奇跡である。イエスは目の見えない人を癒した
ことで、危うくユダヤ人たちに石打ちされそうになった。ラザロの復活が
きっかけになり、ユダヤ人たちはイエスを殺害することを決断して、イエ
スは十字架へと向かうことになる。死を賭して行ったラザロの復活の出来
事を通して、イエスは私たちに何を伝えようとしたのだろうか。


II. 奇跡の遅延とマルタ・マリアとの会話:
 ラザロが重篤と聞いてもいまだ腰を上げないイエス。4日後にベタニア
に到着するが、すぐにラザロの墓に行かず、出迎えたマルタとの時間を
大切にするイエス。悲しみに打ちひしがれるマルタとの「復活」問答。
終わりの日には復活することを信じるマルタに「私こそが復活である」と
宣言するイエス。涙されるイエス。復活の奇跡はこの時から始まっている。


III. 「ラザロ、出てきなさい」:
 死後4日たつラザロに「出てきなさい」と命じるイエス。当時流行してい
た“奇跡を行う見世物”と一線を画するため、父なる神に祈るイエス。この出
来事は「神の栄光を現すもの」である。マルタに「信じれば神の栄光を見る
ことができると言ったではないか」と再度呼びかけるイエス。それに対して
沈黙のマルタ。マルタの悲しみの深さ。それでもイエスは「信じ続けなさい」
と呼びかける。主は、私たちにも呼びかける。


IV. 結び:
イエスは死も命もすべてつかさどるお方である。命を包み込むイエスのもと
で私たちは憩う。悲しい時慰めてくださり、嘆きを希望に変えてくださる。
私たちの悲しみ、痛み、弱さすべてを背負い、十字架にかかられた。私たち
を罪から解放し、赦しを与えるために。イエスは今も私たちに呼びかけてお
られる。「私は復活であり、命である。」あなたは私を信じ続けるのかと。
復活したイエスは、私たちのそばにおられる。すでに天に召された者たちは、
「キリストの永遠の命の中に憩う」ことを証しする。そして、今生きている
者は、悲しみの中から立ち上がり、希望の中へと歩み出す。


by hachimejibap | 2018-05-19 16:00 | メッセージ

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