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キリストに結ばれて

テーマ キリストの交わり
聖書 使徒言行録コリントの信徒への手紙 二 2章14~17節
2018年1月21日    主日礼拝            牧師 左右田 理

 クリスチャンの道は神さまの光に照らし出されてまっすぐ歩むことができる…教会学校
に通っていた小学生時代に耳にしたことです。しかし本日の聖書箇所の事情(1章)として
あの大伝道者パウロの立てた伝道計画が変更を余儀なくされていたようです。神さまに
救われ、また守られているなら、計画の変更など起こるはずないのではないか…コリン
ト教会に渦巻き始めていたパウロへの疑問だったのではないでしょうか。ところがパウ
ロはそのような疑問を一蹴するかのように力強く宣言します。コリント教会訪問が遅れた
のは諸問題に対して性急な裁きをしない、という思いやりの決意の表れに過ぎない、と。
(1:23,2:1参照) 果たしてこれは、パウロが開き直って自己推薦を始めているのでしょう
か?(3:1) お互いの言い分がどこまでも平行線をたどっていくように見えるとき、人は途
方に暮れます。しかし教会の交わりはそのようなときにも、絶えずキリストに立ち返るこ
とができるのです。
 本日の聖書箇所でパウロは宣言します、私たちはいつもキリストの勝利の行進に連な
っていると。キリストの十字架は、律法など諸々の規定による証書によって社会的に不
利な評価を受けた人々に連なり、その評価を破棄して取り除きました。キリストの勝利
は、世の権威(比較優劣、合否)、武装の愚かさを明らかにしてくれました。(コロサイ2:14~
15) 教会は社会的に不利な評価を浴びせられている人々と出会い、交わり、連なるこ
とによってキリストの勝利の行進に連なり、命から命に至らせる香りを世に解き放って
いくのです。しかし世の権威に執着し、武装する人々にとってそれは、死から死に至ら
せる香りであるかのように誤解し、教会を裁き、また迫害するのです。
 けれども教会は裁き返すことはありません。そもそも報酬、見返りを求めていないか
らです。ただキリストに結ばれた交わりを求めていくからです。(17節) それでも教会もま
た道を踏み外すことがあります。社会的に不利な評価を浴びせられている人々を避けて
しまった負い目は、キリスト教会2000年の歩みにもあります。裁く側へと誘惑され世の権
威、武装に堕してしまったときがあります。教会は、ひたすら悔い改めの交わりです。
「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しまし
 たように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」(マタイ6:12~13)


by hachimejibap | 2018-02-27 17:47 | メッセージ

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