八王子めじろ台バプテスト教会

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主を畏れること

テーマ 命の主
聖書 申命記 8章11~20節
2017年11月12日    主日礼拝          牧師 左右田 理

 本日の聖書箇所は、旧約における礼拝、捧げ物の場面です。とくに申命記は荒れ野
の民が約束の地へ侵入する直前のような描写設定になっていますから、本日の聖書箇
所も約束の地、神の国の心得として聴くことが大切でしょう。なお先主日礼拝メッセージ
でも申しましたように、今の聖書学的見解として申命記の執筆背景には、神の国イスラ
エル分裂後、北イスラエル王国の滅びを目の当たりにした南ユダ王国が、バビロン捕
囚前に宗教改革にチャレンジした姿があったと考えられます。(列王紀下22:13、歴代誌
下34:21) 誰と共に礼拝を捧げ、誰と共に生かされていくのか…命の主の招きに心新た
に応えましょう。
 キリスト教会の歴史には“十分の一”献金という概念がありますが、本日の聖書箇所
にも収穫物の“十分の一”を捧げることが規定として掲げられています。しかし、ここで
の“十分の一”は民数記18:21の規定とは異なっています。民数記の“十分の一”は、宗
教活動に従事する職人「レビ人」への報酬のためであるのに対して、本日の聖書箇所
では、食卓を囲む顔ぶれの広がりのためであることがわかります。ですから私たちキリ
スト教会も十分の一献金を心するごとに、献金自体はもちろんのこと、礼拝全体につい
ても、誰と共に生きるために捧げているのかが問われているのです。
 民数記18章においては いわゆる聖職者に匹敵する存在として描かれていたレビ人
が、本日の聖書箇所では社会的弱者の仲間入りです。申命記は南ユダ王国が滅びる
原因に宗教的堕落を見ていたのでしょう。家内安全、商売繁盛、国体護持のために命
の比較優劣、社会的差別排除が横行することは古今東西珍しくありません。同様に宗
教界でも見返りを期待できる否か、信者が優遇されるか否かによって宗教、奉仕者の
値踏みが横行してしまうことも珍しくありません。しかし永遠の命の宗教、復活の宗教は
この世の報いから解放されなければならないのです。(ルカ14:12~14) 
 自分の捧げ物が自分のためになるのかどうか、礼拝を捧げることが自分のためにな
るのかどうか…報いに執着させようとする誘惑の尽きない世で、私たちは十字架の主
に贖われた命として全身全霊を礼拝に捧げましょう。
「わたしたちを誘惑にあわせず 悪い者から救ってください。」(マタイ6:13)


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by hachimejibap | 2017-12-07 12:10 | メッセージ

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