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暗闇に追いつかれないように

テーマ 教会
聖書 ヨハネによる福音書 12章27~36節
2017年6月18日      主日礼拝              牧師 左右田 理

 イエス様はそのご生涯において心騒ぐときがありました。苦しまれました。しかしそのと
きに天から声があったのです。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」(28
節) しかしこの後イエス様の行く手に待っていたのは十字架でした。イエス様はおっしゃ
いました。“今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。「父よ、わたしをこの時から救ってくだ
さい」と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。(27節)” …「自分
を救ってください」という願いから解放されることこそが天からの栄光の現れだったのであ
り、十字架を天の御旨として受ける決意に再び栄光が、すなわち復活が現れたのです。
 イエス様はどうして十字架の道を進む事になったのでしょうか。.本日の聖書箇所で心
騒ぐとはどういうことだったのでしょうか。イエス様はエルサレム入場をされた際に神の
民であるユダヤ人たち大群衆から歓迎されましたが栄光を宣言されませんでした。しか
し数人のギリシア人(異邦人)からの訪問を受けたときに栄光を宣言されたのです。(12:
23) よそ者と向き合うときこそが栄光のとき…それは神の国の中心部に天の栄光はな
い、神の国の周辺部、さらには外側にこそ天の栄光が満ちあふれていくのだという証し
でした。(ヨハネ4:20~21) 皆に天の栄光を受けてもらいたい…そのためには、それまで皆
が心の拠り所にしていたものから皆を引き離さなければならない…こうしてイエス様が
イスラエルの同胞から見放され、十字架に見捨てられる事態は必至でありました。
 人は救いを「自分にとっての」安心として受けとめます。(34節) それは物心両面にわ
たる「聖域」となっていきます。そしてそこから「身内や仲間の優先、優遇」、よそ者を「差
別、排除」、もしくは、よそ者を自分たちと同じ色に染めようとする「同化政策」などさまざ
まな罪の社会構造が生じてきます。それらは霊的な闇です。天の栄光を覆い隠そうとす
る闇です。十字架の道、よそ者との出会い“そのもの”に天の栄光を見る道、敵を愛す
る道を見えなくさせようとする闇です。「暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩
きなさい。」(35節) 「闇の中の光(ヨハネ1:5)」として復活の主は招き続けています。
 教会は光の子らの群れです。排除、差別、同化政策、また身内、仲間優先などの支配
を裁く十字架の光がすでに世に満ちていることを信じ礼拝する群れです。そしてそれら
の支配を追放する光のもとへあらゆる命を招く群れなのです。(31,32,36節)


by hachimejibap | 2017-07-26 08:00 | メッセージ

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