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キリストと共に神の内に

テーマ 復活
聖書 コロサイの信徒への手紙 3章1~4節
2017年4月30日      主日礼拝          牧師 左右田 理

 本日の聖書箇所の続く5節について、新共同訳聖書では衝動、欲求を“捨て
去りなさい”と訳しています。しかし新約聖書の原語であるギリシャ語は“ネ
クロオー”、すなわち“殺す”です。実際、5節について口語訳聖書、新改訳
聖書では衝動、欲求を“殺しなさ
い”と訳しています。新共同訳聖書では禁欲生活など消極的イメージで読めて
しまいますが、原語では力強い決断が要求されていると言えましょう。ですか
ら本日の聖書箇所で“上なるもの”を求めるということも憧れなどの情緒では
なく力強い決断への招きなのです。
 この世は憧れ、欲求、衝動の頂点に“上なるもの”を見ようとします。しか
し創世記11章に描かれた“バベルの塔”の物語では、世の上昇志向、安定志向
では“上なるもの”に達することができなかったばかりか、散り散りバラバラ
にされた人間群像が神の裁きとして証しされています。けれども神さまは人を
見捨ててしまったわけではありません。
“上なるもの”としてキリストが十字架に上げられたからです。私たちが十字架
の苦難、主の死を仰ぎ見るとき、もはや憧れ、欲求、衝動など世の誘惑は私たち
を捕らえることができません。そのとき私たちの命がすでに復活の主と共に神の
内に隠されているからです。ですから私たちの意志(決断)が、世の誘惑を殺すわ
けではありません。私たちの決意は、ひたすら“上なるもの”として十字架の主
を礼拝し、祈ることに向かいます。
復活の主に、十字架に突き進んだその決意をもって世の誘惑をことごとく殺して
もらうために。「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。
                              (マタイ6:13)」
 イエス様が十字架で殺されたのが金曜、そして復活されたのが日曜、つまり
その間に土曜日があります。神の民イスラエルにとって土曜日は安息日でした
が、イエス様を愛していた人々にとっては絶望の闇に覆われた暗黒の日でした。
側近の弟子たちにとっては逃げ隠れに費やされた一日であり、女性たちにとって
はイエス様の墓参りをすることすら当時の掟によって封じられていた一日でした。
それは救いに何も貢献できない自分と向き合う日でした。いや、貢献できないど
ころか、救い主を見殺しにすることしかできない自分と向き合う日でした。しか
し救い主を殺す以外に何もできない自分と向き合う日こそが、復活の命に迎え入
れられる確かな安息の入り口となったのです。


by hachimejibap | 2017-07-26 01:00 | メッセージ

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