人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ただ主に従いなさい

テーマ 主の食卓
聖書 ルカによる福音書 5章27~39節
2017年4月2日      主日礼拝             牧師 左右田 理

 本日の聖書箇所は、徴税人たちと囲む“食卓”、次に“断食”問答という、二つの物語
で構成されていますが、共観福音書(マタイ9:9~17、マルコ2:13~22、そして本日のルカ)の
いずれでも同じ順序になっています。本日は、この順序そのものからも、メッセージを聴
きたいと思います。マタイ、マルコの“食卓”では、罪人を無条件で招くイエス様が描かれ
ているのに対して、本日ルカの“食卓”では、罪人を悔い改めに招くイエス様が描かれて
います。(32節) 神の民としての正しさに熱心だったファリサイ派の人々は、神の民らし
く悔い改めた人だけで食卓を囲むよう迫ります。しかしイエス様は続く“断食”問答で、新
しい悔い改めを指し示すのです。
 イエス様によって徴税人レビの身の上に成就した悔い改めは、“慣習、慣例としての正
しさに安住することなく、絶えず新しい出会いに生きる”という生き方でした。(36~39節)
レビは徴税人仲間だけで収税所に詰める慣習、慣例を一切捨て(27~28節)、徴税人仲
間と他の人々とを出会わせる食卓に献身奉仕しました。(29節) それまで顔を合わせる
ことも、分かち合いもなかった者どうしが出会わされる、ここに主の食卓としての豊かさ
があります。だとしたらファリサイ派の人々こそが罪人を招く主の食卓に、豊かに招かれ
ていたはずです。本日この後、主の晩餐式を執り行いますが、それがもしクリスチャン
限定の場だったら、主の食卓としての豊かさは霞んでしまったことでしょう。
 ファリサイ派の人々は神の国イスラエルの秩序、安定のため悔い改めに熱心でした。
だから神の民“らしさ”、神の民と異邦人との“区分”を曖昧にして神の国を滅ぼしかねな
い危険人物としてイエス様を十字架で殺しました。しかし十字架の主こそ、復活の主で
す。今も生きて働いてくださり、身内、仲間どうしの付き合いに安住したい衝動を悔い改
めさせ、復活の豊かさに満ちた主の食卓を成就してくださるのです。(ルカ14:12~14)
 平穏無事志向は秩序、安定のために人種差別を生み出します。しかし神の平和は、
“人を見ずして神を見よ”です。それはただ人が見えなくなってしまうのではなく、十字架
に現れた神の視点で人を見よ、という招きです。(ゼカリヤ12:9~10) キリストの言葉は初代
教会を異邦人伝道へ招いた言葉として、今も「絶えず新しい言葉」に生きるよう私たちを
招いています。この招きに応えて礼拝、祈り、賛美を捧げましょう。
by hachimejibap | 2017-04-22 15:00 | メッセージ

〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036  礼拝(日)AM10:00~12:10              祈り会( 水曜日 午前10時~11時20分


by hachimejibap