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成し遂げられた

テーマ 救い
聖書 ヨハネによる福音書 19章28~37節
2017年2月12日       主日礼拝            牧師 左右田 理

 日本には、人の不幸を「バチが当たった」と総括する社会性が歴史的にあります。そ
のような総括は、その人のそれまでの歩みを、“無駄”だったと烙印を押すような言葉で
す。その人の生涯そのものが、神から認められなかった、という断罪の言葉です。イエ
ス様の十字架の苦しみは、その肉体的激痛のみならず、存在そのものが、神から無用
とされたかのような渇きだったのではないでしょうか。(28節、詩編69:22:27)
 本日の聖書箇所の並行記事として、十字架上に酸(す)いぶどう酒が差し出される描写
は、マタイ27:48~50、マルコ15:36~37にもあります。酸いぶどう酒は痛みを緩和し、元気
をつけさせるため、または、死の苦しみを長引かせるためだったとも言われます。だとし
たらマタイ、マルコからは、酸いぶどう酒を受けることなく、死の苦しみの極みに達した
イエスの十字架を聴くのに対して、本日のヨハネからは、酸いぶどう酒を受け、死の苦し
みのただ中にとどまり続けるイエスの十字架を聴くことができるでしょう。しかし、死の
苦しみにとどまり続けることによって、何が成し遂げられたというのでしょうか。(30節)
 イエス様は十字架において、創造主としての栄光を受けるということが、成し遂げられ
たのではないでしょうか。(ヨハネ17:4~5) 天地創造とは、神の側の一方的な負担として成
し遂げられた出来事です。人の側の負担として、成し遂げられたものは何一つありませ
ん。人は被造物として、一方的に成し遂げてもらった出来事、それが天地創造です。十
字架上でイエス様は、改めて創造主の栄光をお受けになり、新世界の幕開けを成し遂
げられたのです。それは、自分は渇いて死に、他者に向けて、とくに自分を殺す敵に向
けて、潤い(水)と命(血)を注ぎ出していく新しい人の創造です。(28,34節、2コリント5:17)
 十字架による新しい人として創造された教会の群れは、主の祈りを十字架の主の死
を仰ぐ祈りとして唱えていくことでしょう。十字架の主にあって共に死ぬ祈りは、自分(た
ち)が労苦するための「~させたまえ」ではなく、自分(たち)が労苦の現場を去った後、後
生の、とくに貧しい者たちの恵みとして「~なりますように」ということでしょう。(詩編
69:30~31,33~34) 天地の実り、食卓の実り、赦しの実り、すべてが後生の恵みとして
永に満たされますように…私たち教会は、この十字架の希望によって、新しく創造された者
たちの群れとして、共に喜び、祈り、感謝していこうではありませんか。(1テサロニケ5:16~18)
by hachimejibap | 2017-02-14 13:40 | メッセージ

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