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パンの出来事

テーマ 救い
聖書 マルコによる福音書 6章45~52節
2017年2月5日       主日礼拝            牧師 左右田 理

 本日の聖書箇所の並行記事は、マタイによる福音書14:22~33と、ヨハネによる福音書
6:15~21に見られます。マタイからは信仰的応答、ヨハネからは人間イエスの神性、超越
性、そして本日のマルコからは人知を越えた救いを聴くことができましょう。(52節) 私
たちは救い主と聞くと、自分たちの困難のために駆けつけてくれる姿だけを思い描いてし
まうかも知れません。(51節) しかしマルコでは、嵐の中、徹夜で舟を漕ぎあぐねている
弟子たちのそばを、イエス様は通り過ぎようとされているではありませんか。(48節) 弟
子たちの目にイエス様が幽霊に見えた原因としては、湖上を歩くという不思議な現象だ
けでなく、イエス様が救い主でなくなったかのような絶望もあったのではないでしょうか。
 自分たちが苦闘しているとき、そのそばを通り過ぎていくお方が、どうして救い主なの
か、私たちにはわからないかも知れません。(48節) そもそも、敢えて十字架の苦難に
進んでいこうとするイエス様の道が、どうして人々の救いなのか、側近の弟子たちにも
わかりませんでした。救いの渦中にあるとき、人にはそれが救いではなく、災いに向か
って突き進んでいるようにしか見えません。(マルコ9:30~32) 十字架の福音は、人の目に
は不必要なもの、絶望をもたらすものとして映るのです。
 イエス様はパンの出来事として五千世帯もの空腹を満たした(44節)後、弟子たちを遠
ざけ、群衆をも遠ざけます。(45節) それは祈りに専心するため(46節)、神の御旨に専
心するためでした。それは、人のための救いが、絶えず人の満足のための救いから解
放され、絶えず神からの救いとなるためだったに違いありません。そもそもパンの出来
事とは、イエス様からの無理難題の出来事でした。(37節) しかし、それはまた、人には
できなくとも、神にはできること(マルコ10:27)を学ぶ出来事でした。(44,51節) “命にとっ
て本当の必要とは、人としての絶望にこそ臨む神が、人知を越えてすでに把握し、一方
的に満たしてくださる救いである”ということを学ぶ出来事でした。
 十字架の福音は、神の約束です。世界が一つになるときが来ます。苦しみの連帯とし
て、世界平和が成就します。クリスチャンはそのために、神の子とされました。ここに復
活の主のご支配、永遠の命の希望があります。私たちが覚える必要を越えた、まこと
の必要が全世界にかなえられるよう、共に祈りましょう。
by hachimejibap | 2017-02-14 13:30 | メッセージ

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