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神の国で食事をする人

テーマ 神の宣教
聖書 ルカによる福音書 14章15~24節
2017年1月1日     新年礼拝              牧師 左右田 理

 本日の聖書箇所、せっかく神の国の宴会に招かれていたのに、断ってしまうというの
は、どういうことなのでしょうか。きっとすると宴会を断った人たちだって当初は、た
だ、その招き以外には何の希望も持たないような乏しさを抱え、返礼するゆとりなどま
ったくあり得ない人たちだったのでしょう。(13~14節) ところが今、その宴会以外にも
豊富な選択肢がありました。(18~20節) 救いに飢え渇いていたときには、輝いて見えて
いた神の国の宴会、その招き…けれども救われ、さまざまな恵みに満たされていくうち
に、宴会への招きは、幾つもある輝きのうちの一つとして埋もれていったのではないで
しょうか。この たとえ話には、主の招きよりも大切なものができてしまった人々に対す
る、神の悔しさ、断腸の思い、救い主の うめきがあるのかも知れません。(24節)
 しかし、神の うめきは、神の あきらめではありません。神の国の宴会、その招きは、
何者にも、何事によっても決して妨げられることはないのです。教会はキリストのからだ
であり、神の僕です。招きが断られるたびに、さらに次なる招きに奉仕するよう、招きの
使命そのものが刷新されていきます。(21節) 招かれる人々の条件、資格は一切問わ
れることなく、ただ神が招くがゆえに、その招きはあらゆる人々へ広がっていきます。
(22~23節) これは当教会の主の晩餐式の際にも分かち合われている招きです。こうし
て神の国の宴会は、その招きを後回しにできるような ゆとりのある人々のもとから、返
礼のできない乏しさを抱えた人々のもとへと、より広く、ひたすら前進していくのです。
 この世の招きは、往々にして“共存共栄”志向です。相互に見返りを期待できる関係
になるかどうか、計算したくなる誘惑が潜みます。しかし十字架の命が支配する神の国
は、“共苦共生”への招きに他なりません。(ルカ3:11) 歴史的教会は、生きる悲しみ、つ
らさを分かち合うところにこそ、十字架の命の勝利を見てきたのです。当教会も、「教会
の信仰告白」が、神の国の宴会への招きになっているか、天から問われています。
 2017年の幕開け、私たちは神の国の宴会への招きに応えましょう。主イエスの祈りを
もって応えましょう。ただ、つつがなく持続される食卓ではなく、本当に今日、神の国の
宴会に必要な食卓を祈り求めましょう。主の祈り(新共同訳聖書(マタイ6:9~13)+日本キリ
スト教協議会統一訳頌栄)をもって、共に祈りましょう。
by hachimejibap | 2017-02-14 12:40 | メッセージ

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