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言い表して救われる

テーマ 信仰告白
聖書 ローマの信徒への手紙 10章5~13節
2016年11月13日                      牧師 左右田 理

 本日と来主日は、2016年度に向けた計画総会(2016.3.20)で、新しい「教会の信仰告
白」作成に向けた取り組みについて言及したことを覚えつつ、礼拝メッセージに取り組
みたいと思います。「なぜ心で信じているだけではダメなのか。人前で告白しなければ
救われないのか」(10節)。今までノンクリスチャンの方々から何度も耳にした問いです。
ひょっとすると、聖書や教会を通してキリスト教に触れた際、そのような疑問を抱く方
は少なくないのかも知れません。そのような疑問に応えるために、まず意識したいこと
は、心に信じるとは、「十字架の主こそ復活の主」を信じることだということです。(9節)
 十字架の主とは、神の掟(5節)によって生きることのできなかった者たち、その社会、
共同体からは不合格とされ、排除された者たちの主です。ですから主イエスを告白する
信仰告白は、神の掟に合否判定を見る人々に対しては、十字架の栄光を貶めていない
かという問い直しとなり(6節)、神の掟に断罪を見る人々に対しては、陰府にくだった十
字架の愛を否定する上昇志向に囚われていないかという問い直しとなることでしょう。
(7節) こうして主イエスを告白する信仰告白は、歴史的教会において、心貧しく、悲し
み、義に飢え渇く者たちの中から起こされる預言者活動(マタイ5:12 本日の招詞)に連なる
決意表明となってきたのです。
 バプテスト教会は歴史的に、信仰告白によるバプテスマを大切にしてきました。そこで
表されてきた、十字架の命の主と一つになる(ローマ6:3,5,9,11)という救いの理解は、十字
架の主を仰ぐところであらゆる命が一つになるという希望です。(9~13節、ガラテヤ3:27~28)
当教会も、主の晩餐式のテーマとして「主イエス・キリストにあって共に死に、共に生きる
ために」を掲げています。「十字架の主こそ復活の主」という信仰は、信仰共有の輪の
広がりに向けた、歴史の主の招きだったのです。
 十字架の主の言葉は、隣人の うめきのただ中から、すでに現れています。(8節) 復
活の主が、今も隣人の苦しみの中に生きて働いてくださっているからです。だとしたら、
絶えず、これから出会う隣人の苦しみと、広く連なっていくところで、「十字架の主は復活
して、今も生きて働いておられる」という私たちの信仰告白が、豊かに成就していくにな
るのです。(2コリント6:8~10)
by hachimejibap | 2016-12-06 14:00 | メッセージ

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