人気ブログランキング | 話題のタグを見る

たとえ全世界を手に入れても

テーマ :新生
聖書 マタイによる福音書 16章21~28節
2016年10月16日                     牧師 左右田 理

 皇帝崇拝の都市フィリポ・カイサリアで、弟子ペトロによる「イエスこそメシア(キ
リスト、王)」という信仰告白は、イエス様によって、キリスト教会の土台だと宣言さ
れました。(マタイ16:16~17) しかし、その告白は常に、その時代、その社会の権力者か
ら警戒、敵視される告白であり、いわば死と直面する信仰告白でした。本日の聖書箇所
でペトロにしてみれば、イエス様には、いかなる妨げをも突破するヒーロー然としたキ
リスト像、死のの危険を跳ね返すような救い主像を自覚してもらいたかったのでしょう。
しかしイエス様は、十字架の死から目を逸らそうとするペトロの姿勢を「サタンよ、
引き下がれ」と一喝されたのです。
 十字架の主の死と向き合う日々を背負っていく者こそが、キリストが証しする命を得
ます。(24節) 歴史的教会は、キリストが証しする命を永遠の命として受けてきましたが、
それは失うことで得られるのです。(25節) だとしたら、その命は、その人自身の“中に
とどまる”ことができないもの、その人自身の“外に向かっていく”ものでしょう。十字
架の命は、当時の社会的権威によって排除されていた病人や罪人たちと一つになってい
きました。その排除、迫害による十字架の主の死こそが、復活の栄光でした。そして、
その復活の栄光こそが、世の苦しみ、悲しみにあえぐ後生を、キリストの子孫として新
たに生まれさせる道しるべとなったのです。(イザヤ53:3,4,10,12) だから永遠の命を受け
ている人は、自分の全生涯が十字架の主によって贖われ、後生の苦しみ、悲しみに対
する慰めと希望の器として役立ててもらっていたことを(詩編22:2,25~26)、再臨の主によ
って証しされるのです。(27節)
 復活は十字架の死の向こう側に起こりました。神の国の栄光(28節)もまた、十字架の
死の向こう側、十字架の言葉に従っていくその先に起こることを、歴史的教会は学ばさ
れてきたのでしょう。(マタイ17:5,8) この世の国は、対外関係(他者との関係)において優
位が保たれることを国益(利益)として教えます。しかし神の国は、他者との比較優劣、
分断が取り払われていく“キリストの明日”こそが国益(利益)であると教えます。(ガラテ
ヤ3:27~28) 私たちは共に、“キリストの明日”に向かう国益、利益を世に向かって訴え、
証ししていきましょう。神の民として、より多くの方々と共に、十字架の命に生きるた
めに。
by hachimejibap | 2016-11-07 17:00 | メッセージ

〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036  礼拝(日)AM10:00~12:10              祈り会( 水曜日 午前10時~11時20分


by hachimejibap