八王子めじろ台バプテスト教会

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御心が行われますように

テーマ :主の祈り
聖書 マタイによる福音書 6章10b~11節
2016年7月3日                       牧師 左右田 理
 この地上において“天”を知っているのは、“天”から降りてきた人だけです。すなわち
イエスのみが、まことに“天”に立ち帰ることのできる道を知るお方として、十字架の道
を証ししたのです。(ヨハネ3:13~14) 主の十字架の道は、世の多くの人々が近づこうとしな
い道であることを歴史的教会は、よくわかっていました。(マタイ7:13~14) しかし、だからと
いって、もし十字架の道から逸れてしまうなら、祈りも、賛美も、奉仕も、奉献もすべて
が“天”から遠ざかってしまうこともまた、歴史的教会にはわかっていたのです。(マタイ7:
21~23) こうして歴史的教会は、主の十字架にこそ、“天”の御心が完全に証しされてい
ることを信じ、十字架のみを誇り、掲げ続ける道を選び取ってきたのです。
 従来の主の祈り(1880年訳)にあるような、「御心を“なさせたまえ”」という語調は、新
約聖書の原典と異なる(6/12「今日のメッセージ」参照)というだけでなく、主が十字架に向
かう祈りの葛藤(ルカ22:42)とも異なります。内に葛藤を秘めつつも、天命として「御心が
“行われますように”」という語調にこそ、十字架の道が見えてくるのではないでしょうか。
実際、主の祈り〔新共同訳聖書(マタイ6:9~13)+日本キリスト教協議会(NCC)統一訳頌栄〕
では、新約聖書の原典であるギリシア語に対応して、「御心が“行われますように”」とな
っています。
 主の祈りにおいて御心は、食事に進みます。天の御心が満たされるための食事です。
決して、ただ食欲が満たされるための食事ではありません。実際、主の祈りの直後に、
断食について言及されていますから。(マタイ6:16~18) それは神の目線に気づくための
断食です。天の御心がどこへ向かっているのかに気づくための断食です。ですから主
の祈りは、天の御心、十字架の主、十字架の道に立ち帰る食事として、唱えられるべき
でしょう。主の十字架の道は、その時代、その社会において呪われた者として忌み嫌わ
れ、排除された命の傍らに立つための道であり、それらの命と一つになるための道でし
た。主の祈りもまた、霊的な断食として、食事を分かち合う道でしょう。(イザヤ58:6~7) 無
事を願って“日用の糧を今日も”(1880年訳)ではなく、分かち合いのために“必要な糧を
今日”(新共同訳+NCC統一訳頌栄)、与えてください、と唱えましょう。そして主の晩餐
式で、十字架で裂かれたキリストのからだを記念するパンを、共に分かち合いましょう。
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by hachimejibap | 2016-07-07 13:00 | メッセージ

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