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八王子めじろ台バプテスト教会 hachimejib.exblog.jp

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御国が来ますように

テーマ :主の祈り
聖書 マタイによる福音書 6章10a節
2016年6月12日                      牧師 左右田 理

 神の民は、神の国を待ち望んでいました。旧約以来、メシア(新約聖書のキリスト)は、
神の国をもたらす存在として、祈り求められてきました。イエス様のまわりに集まった群
衆も、すぐにも神の国が来る、という熱い期待を寄せていました。(ルカ19:11) 弟子たち
も、“さぁ、イエス様、神の国を来させてください!”という熱い期待でもって、死の覚悟ま
でも口にできたのでしょう。(マタイ26:35) けれどもキリストの十字架は、人の熱心による
祈りが御国とは相容れなかったという霊的な真実を証ししたのです。(ローマ10:2~3)
 まことに御国に向かうことのできる祈りを生み出せるのは、「主のみ」です。「主の祈
り」の前半部(御名…、御国…、みこころ…)は、新約聖書の原語ギリシア語に照らし合
わせるなら、「~ますように」という訳が適切です。実際、「新共同訳聖書(マタイ6:9~13)+
日本キリスト教協議会(NCC)統一訳頌栄」は、そのように訳しています。ところが、5/29
「今日のメッセージ」でも申しましたように、“従来の”主の祈り(1880年訳)は、誰が、な
ぜ、「~させたまえ、~らせたまえ」と訳したのか、その歴史的経緯は不明です。そして
“従来の”主の祈りを唱えるとき、「人の熱い期待としての祈り」という印象がぬぐえませ
ん。そして、そのような疑問を検討、解明しようにも、誰を(どの資料を)軸にして対話を
進めていけば良いのか、歴史的手がかりが不明なのです。
 5/29「今日のメッセージ」で分かち合ったこととしてもう一つ、「主の祈り」とは、
「キリストの言葉に聴く対話の場による祈り」だということがありました。そして福音書
においてキリストの言葉は、徴税人など罪人として見下され、肩身の狭い思いをしている
人々を招き、対話する言葉でした。だとしたら「主の祈り」は、熱心に祈るどころか、神
さまに顔向けできず、まともに祈れない人たちに託された祈りです。(ルカ18:13~14)
うめくことしかできない人に期待し続ける、“神の”熱心の祈りです。(ローマ8:26)
 主の祈りは、神の熱心に委ねる祈りです。もはや何も願い得ない悲惨のただ中に立
つ十字架の主の祈りです。御国を待ち望む思いを、“絶望に沈んでいる人々と共に”し
ていく復活の主の祈りです。祈れている私たちよりも、祈れない人々が先に御国を迎え
るよう、求めずにはいられない祈りです。この6月、命どぅ宝の日…沖縄の うめきを覚
える私たちの祈りが、主の祈りにふさわしいものとなりますように。
by hachimejibap | 2016-07-06 21:00 | メッセージ