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だから、こう祈りなさい

テーマ :主の祈り
聖書 マタイによる福音書 6章9節
2016年5月29日                   牧師 左右田 理


 5月1日礼拝メッセージで、従来の主の祈りを「文語訳聖書による」と紹介しましたが、
歴史的には出典不明だそうです。そもそも「主の祈り」とは、福音書的に見れば、「キリ
ストの言葉に聴く対話の場による祈り」ということです。(マタイ5:1~2、ルカ11:1) ところが
従来の主の祈りは、日本基督教団讃美歌委員会による「讃美歌21」などで「1880年訳」と
されていますが、どのような人々が、どの邦訳聖書から共に聴き取ったのか、その場、
その群れが確認されることもなく、諸教会で「主の祈り」とされてきたことになります。
その点、「新共同訳聖書(マタイ6:9~13)+日本キリスト教協議会統一訳頌栄」は、「キリストの
言葉に聴いた場」、その群れが明らかになっている「主の祈り」です。
 「主の祈り」の言葉は“天”に言及して始まります。これは新旧両約聖書で証しされて
いる救いが、決して個人主義的、身内主義的な出来事ではなく、天と地との関係回復と
いう世界的な展望であることを教えてくれています。聖書の救いの原点として描かれる
アブラハムの旅路にも、地上を歩むアブラハムが天を仰ぐことで神と向き合う描写が多
く出てきます。しかし私たちが注意したいのは、アブラハムは、当初、アブラム(父は高
められる)という名前だったのに、神によって、アブラハム(多くのものの父)と改名するこ
とになったということです。(創世記17:5) 人は“天”と聞くと、遠く高いところへ自力
で昇ることを救いだと勘違いするかも知れません。(創世記11:1~9「バベルの塔」) けれ
ども身内による安定を越え、見ず知らずの他者と広く出会っていくアブラハムの旅路に
“天”が現れたのです。“天”には国境のような、いかなる境界線もありません。“同”
国民、“同じ”気質、“同じ”考えなど、仲間内での結束に満足する生き方を捨てて、
“よそ者との対話の広がり”へ前進する旅路にこそ、“天”が現れたのです。
 今年3月と5月の総会を通して、「広く共に生き」、「絶えず新しい言葉に生きる」歩
みへと、すでに当教会は招かれています。私たちは「対話の広がり」に生き、「絶えず
新しい対話」に生きる群れです。ですから「主の祈り」もまた、その「対話の場」が、
より明確な祈祷文へと前進していくときに、より豊かに“天”を受けることでしょう。
                              (エフェソ3:18~19)
   「だから、こう祈りなさい。
        天におられるわたしたちの父よ、 御名が崇められますように。」
by hachimejibap | 2016-06-11 10:47

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