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わたしは必ずあなたと共にいる

テーマ :教会
聖書 出エジプト記 3章711~14節
2016年1月10日 主日礼拝               牧師 左右田 理

 本日の聖書箇所に指し示されている山は通称「神の山ホレブ」、かつてイスラエル旅
行の際、寄ったのですが、足場の悪い荒れ地の登り道、頂上も荒れ地の中に廃墟のよ
うな建物が数軒あるだけでした。当時、礼拝への歴史的招きの出来事(12節)を抜きにし
て環境面だけに限って評すれば、「骨折り損のくたびれもうけ山」という呼称が頭をよぎ
ったことは間違いありません。しかし、その神の山ホレブでの礼拝こそが、モーセたち
が“救いの民と成る”第一歩でした。
 先主日礼拝メッセージでも申しましたように、モーセ率いる荒れ野の民に指し示された
救いには、和解の福音がテーマとして織り込まれていたと考えられます。では、モーセた
ちが荒れ野に招かれることによって、どのような和解が指し示されているのでしょうか。
たとえば、もし“和解”が、いわゆる“共存共栄”だったなら、神さまの救いのみわざによ
って奴隷の苦役から解放してもらった後、わざわざ荒れ野に飛び出さなくとも良かった
はずです。古巣のエジプト帝国内部、その世界的繁栄にとどまり続けながら、支配者に
対して、待遇改善、待遇回復に向けて交渉を進めれば、それで済んだはずです。しか
し、いくら周囲を見渡しても、共存共栄の展望など、まったく見当たらない、神の山ホレ
ブでの礼拝こそが、彼らが“救いの民と成る”ための第一歩だったのです。(12節)
 「せっかく奴隷の苦役から解放されたというのに、なぜ、荒れ野なんかを旅しなければ
ならないんだ?こんな荒れ野に、どんな“おもてなし”があるんだ?」…そのような不平
不満を繰り返す民の姿が旧約聖書には描かれています。それに対して神は応えます。
ひたすら十字架の言葉をもって応えます。(ヨブ19:25,フィリピ1:29) 旧約の救いの物語は
神との対話によって、ひたすら十字架の命の物語に向かって前進していきます。ですか
ら和解の福音は、待遇改善、回復を模索するような身内、仲間内志向の“共存共栄”
の物語から人々を解放し、未知なる人々(よそ者、敵対者など)が抱える痛み、苦しみと
の出会い、対話、連帯に導く“共苦共生”の物語です。(出エジプト23:9,ローマ8:22)
 救いの民の使命は、問題解決(解消)ではありません。問題共有の輪を広めることで
す。問題解決の主を広く指し示していくことです。十字架の言葉を軸とした対話の広が
り(1コリント1:18)、すなわち聖霊の交わりにこそ、絶対的に神がおられるのです。(14節)
by hachimejibap | 2016-02-04 10:44 | メッセージ

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