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イエスの御名に望みを置き

テーマ:福音の理解
聖書 マタイ福音書 12:9~21
2013年10月13日

 イスラエルの民、ユダヤ人は救い主を待ち望む民でした。しかし、なぜ救い主を十字架に
に掛けたのでしょうか。なぜイエスの御名に望みを置くことができなかったのでしょうか。
 古今東西、言い伝えは、身内が結束し続けるため、仲間がバラバラになってしまわないた
め、いわば社会的死活問題として大事にされてきました。当時のユダヤ人指導者たちも言
い伝え厳守を人々に説いていたわけですが、イエス様は、言い伝え厳守によって神の言葉
は ないがしろにされている、と真っ向から批判したのです。(マタイ15:1~3)
 キリストの言葉、十字架の言葉は、身内結束や分裂阻止を至上目的とする言い伝えに異
を唱え、散り散りバラバラとなった者たちが、絶えず新しい人に造り替えられ、新しい共同
体として呼び集められる復活の希望を宣言したのでした。
 異邦人とは、簡単に言ってしまえば、よそ者のことです。身内、仲間内とは異なる存在で
す。キリストの福音は、絶えず、よそ者を照らし出す救いの光です。(マタイ12:18,21) 福音は
目に見える世界を土台としていません。外にいる人たちはすでに仲間、よそ者はすでに仲
間、そのような世界の逆転(Ⅰコリント7:29~31参照)、すなわち新創造、再創造の言葉です。
 「すでに自分は神の民だ、と思っている人は、『まだまだ自分は未信者、求道者である』と
して、もっとキリストの言葉に飢え渇き、ひたすらキリストの言葉を求め、探し、叩いていきな
さい。逆に、『自分は救われていない、神の民の外にいる』と思っている人は、異邦人を照ら
す救いの光によって、すでに神に迎え入れられているという平安をもって感謝を捧げなさ
い」。こうして神の民も異邦人も、キリストの御名に望みを置くことで、すでに共に生かされて
いることを知るのです。これがキリストの福音です。
 だからこそ当教会は、かつてはクリスチャンどうしの儀式、いわば身内の儀式だった主の
晩餐式を新しくしたのではないでしょうか。その日の礼拝に列席されている方は、クリスチャ
ンに限らず、誰もがこの儀式にも招かれている、そう信じてきているのではないでしょうか。
 私たちはこの福音に照らし合わせながら、礼拝生活のあり方、信仰生活のあり方、教会
生活のあり方を絶えず見直し、また共に、立て直していきましょう。また日常の家庭生活、
社会生活においても、イエスの御名に、望みを、どれほど豊かに置いていくことができるか、
絶えず悔い改めていきましょう。
by hachimejibap | 2013-11-04 08:17 | メッセージ

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