キリストの言葉、われらに宿り
2013年 09月 30日
聖書 コロサイ人への手紙3:15~16
2013年9月8日
今や国民的マンガとも言うべき「ドラえもん」…そこに登場する主要人物である、のび太君
は、勉強もスポーツも大の苦手。彼は、その つらさに、いつも悲鳴を上げているのです。し
かし、勉強や学ぶことに、苦しみやつらさを覚えている人は、のび太君だけじゃない、決して
のび太君は独りぼっちじゃない…
キリストの言葉は私たちに教えてくれます、勉強や学びの目的は、まだまだ何も知らない
自分、いわば、まだまだゼロに等しい自分に気づかされるということに他ならない、学ぶこと
でゼロになる、空っぽになる、だからこそ、無限に、いろいろな知識と出会うことができるん
じゃないか、無限に知識が広がるんじゃないか!(Ⅰコリント8:2) この世では、何かを積み上
げている人が偉い人として褒めそやされます。業績、お金、知識、その他にも、積み蓄えて
いる人が偉い人とされます。しかしキリストの言葉、十字架の言葉は、そのようなこの世の
常識を打ち砕きます。ですから、のび太君にも、まだまだ希望があります。まだまだ無限の
明日が待っています。ゼロに等しい君だから、空っぽに等しい君だから、無限に、いろいろ
な知識と出会うことができるんじゃないか、無限に知識が広がるんじゃないか…キリストの
言葉は、のび太君を、いや、私たちみんなを招き続けてくれています。さぁ、共に学ぼうでは
ないか、共に、より新しく、知識を分かち合おうではないか、より新しい出会いを求めて行こ
うではないか、みんなで教会学校、研修会にも積極的に参加しようではないか…
学びを分かち合い続けることによって、くり返し自分がゼロに等しいこと、空っぽに等しい
者であると気づかされることは、痛いことです。逃げたくなります。しかし、そういう誘惑に身
を委ねてしまわないよう、お互いに訓戒し合いましょう。逆に、共に感謝しましょう。そのつ
ど、まだ見ぬ明日に用意された新しい人々や、新しい知識と無限に出会っていくことができ
るという希望、詩とさんびと霊の歌とをもって、心から神をほめたたえましょう。(コロサイ3:16)
自分はまだまだ何も知っていない、と気づかされているなら、自分とは異なる考え方との
出会いこそ喜びであり、新しい知識をもたらしてくれる、自分と異なる人との出会いこそ感謝
です。まさに、ここにこそ、異なる者どうしが互いを喜び合う、キリストの平和があります。
「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召され
て一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3:15)