人気ブログランキング |

八王子めじろ台バプテスト教会 hachimejib.exblog.jp

〒193-0833 東京都八王子市めじろ台2-15-2 ℡.042-663-7036  礼拝(日)AM10:00~12:10              祈り会( 水曜日 午前10時~11時20分


by hachimejibap
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

平和をつくる人

2019818日 八王子めじろ台バプテスト教会 礼拝メッセージ要旨

吉村知子

メッセージ題: 「平和をつくる人」

聖書箇所  : マタイによる福音書59と申命記512-15

要旨

 イエス様はマタイによる福音書59節で「平和を実現する人々は、幸いである。」とおっしゃいました。「平和とは何でしょうか」、この世の平和と「主の平和」はどこが違うのでしょうか。今日は聖書の語る「平和」について、旧約聖書申命記5章からご一緒に考えて行きたいと思います。

 「平和」はヘブライ語で「シャローム」と言い、「平和、平安」を意味します。礼拝式最後の「祝福と派遣の言葉」に民数記624-26の引用がありますが、26節「主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように」の「平安」にはシャロームの語が使われています。ユダヤ人は今でも「こんにちは」と言う挨拶に「シャローム、○○さん」と言い、相手に主の平和があるようにと願うそうです。

 この平和は、私たち日本人だけに限定されるのでしょうか。日本に住む外国の方々にも神様の平和、祝福は同様に注がれていると思うのです。申命記512-15は安息日についての規定ですが、14節には「安息は・・あなたの門の中に寄留する人々にも同様に与えられる」とあります。「寄留者」とは今で言う「外国人」です。外国人への配慮がすでに旧約聖書に書かれているのです。八王子市には約50万人住んでいますが、そのうちの約1万人は外国の方々です。私はかつて、外国人に日本語を教えるボランティア活動をしていましたが、風習の違いで近隣住民とトラブルになり困惑した外国人の話を聞きました。

 私たちは自分と違う肌の色、言葉、行動パターンなどに遭遇すると、まず防御反応があり、心のバリケードを作り出し、そこから抜け出すことがむずかしいことがあるのではないでしょうか。その結果、相手もバリケードを作り、互いに理解し歩み寄る機会を奪ってしまうのではないでしょうか。

 神様はすべての人を愛し、ご自分の“命の息”を吹き込んでくださいました(創世記27)。「平和をつくる人」。まず、心のバリケードを外せるよう、平和の主に祈り求めましょう。


# by hachimejibap | 2019-08-18 20:45 | メッセージ

今日のメッセージ  八王子めじろ台バプテスト教会


201984                 協力牧師 北島靖士

聖書: ヨハネによる福音書1625節~33

テーマ:平和  メッセージ「しかし、勇気を出しなさい

さきほど、礼拝式前祈祷として、いわゆるモーセの十戒をご一緒に朗読いたしました。なぜ、こういうことをしたかと言いますと、この十戒を基にして、日本バプテスト連盟は2002年に「平和に関する信仰的宣言」【平和宣言】というものをしているからです。その意味で十戒は今月のテーマである「平和」を語るのにふさわしいと思います。なお「平和宣言」は教会員手帳に出ていますので、読んでおいていただきたいと思います。

さて、わたしたちは十戒、10の戒めというけれども、出エジプト記201節を見ますと、それは神さまの10の言葉です。戒めということで、なにか窮屈に縛られてしまうという思いが先立つのですけれども、それは全く逆です。出エジプト記10章の2節を読んでみましょう。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」十戒とはあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出す自由の言葉です。わたしたちは奴隷なんて大昔の話だ、と思っています。しかし何年か前にも、ヨーロッパのある国で何十人もの奴隷として売られようとしている子どもたちを国際援助団体がお金を出して、自由にしたということが新聞に出ていました。アメリカでもリンカーンが奴隷解放宣言を出してから170年になろうしています。しかし、いまでも南部バプテストの白人の教会には黒人はほとんどみかけません。たまにいてもそれはお掃除や、台所に雇われている人です。まちのゴミ集めをしている人はほとんどが黒人です。現在の大統領のもとで、外国人差別がいよいよ激しくなっていることを御存じの事と思います。

よその国のことを言ってはおられません。わたしたちの国にもさまざまな差別があります。政治的にも、社会的にも、経済的にも、文化的にも不自由さを感じています。ネットを見れば、韓国人に対するヘイトスピーチが満ち溢れています。一万円札はまだ福沢諭吉ですが、彼は日清戦争の時に「チャンチャンの軍艦を打ち沈めること造作なきことなけれども」と言っているそうです。チャンチャンとは「チャンコロ」と同じで、中国人に対する侮蔑の言葉です。

そして根本的にはわたしたちの奥深くに「罪」が巣くっているのです。そこから、あなたを解放し、自由にしたのはわたしだと神さまは言われているのです。

(これはメッセージの冒頭部分です。アウトラインではありません。)


# by hachimejibap | 2019-08-07 21:29 | メッセージ

献げるわたしたち

今日のメッセージ


メッセージ題: 「献げるわたしたち」                         吉村知子神学生

聖書   : ローマの信徒への手紙121-8

「ローマの信徒への手紙」は使徒パウロが57年頃ギリシャのコリントで書いたと言われています。異邦人伝道の使命を神から与えられたパウロはこの頃には地中海沿岸北東部は伝道し尽くし、多くの教会を建てていました。パウロには一つの願いがありました。当時の文化の中心地ローマで福音宣教することでした。諸事情で道が閉ざされていたものの、ようやく道が開かれてきたので、まだ見ぬローマの信徒たちへ手紙を書いたのです。内容は1-11章で自身が人生を賭けて伝えている「福音」とは何かについて、そして12章からは福音を信じた者はどのように生きるのか、実践的な勧めをします。

まず、「礼拝とは献げること」です。「献げる」と言う言葉には「差し出す、そばに置く」という意味があります。私たちが自分の所有だと信じて、しっかり握りしめている物を「神のそばに置く、神に差し出すこと」です。

次に「礼拝とは神へ良き香りを献げること」です。旧約時代「祭司が毎日朝と夕に献げ物を燃え尽くし、その良い香りを神に献げた。神はそれを喜んだ」とあります(民数記28)。パウロはⅡコリント215で「私たちはキリストによって神に献げられる良い香りです」と語ります。私たちの日々の言動はキリストの良き香りを放っているでしょうか。日々、祈りによって心を新しく造り変えていただきましょう。

最後に「礼拝とは、賜物を献げ、神にご栄光を帰すること」です。教会はキリストの体、私たちはそれぞれの部分です。私たちは神様から与えられた賜物を用いて、互いに助け合い、補い合い、キリストの体を造り上げます。

神でありながら、人としてこの世に来られ、十字架にかかり復活された主イエス。それは私たちを罪から救うため。これほどまでに私たちを愛してくださった主にあなたは何を献げますか。主は「あなたの賜物を私に献げよ」と、今日も語りかけておられます。


# by hachimejibap | 2019-07-14 21:20 | メッセージ

献げるわたしたち

今日のメッセージ


メッセージ題: 「献げるわたしたち」                         吉村知子神学生

聖書   : ローマの信徒への手紙121-8

「ローマの信徒への手紙」は使徒パウロが57年頃ギリシャのコリントで書いたと言われています。異邦人伝道の使命を神から与えられたパウロはこの頃には地中海沿岸北東部は伝道し尽くし、多くの教会を建てていました。パウロには一つの願いがありました。当時の文化の中心地ローマで福音宣教することでした。諸事情で道が閉ざされていたものの、ようやく道が開かれてきたので、まだ見ぬローマの信徒たちへ手紙を書いたのです。内容は1-11章で自身が人生を賭けて伝えている「福音」とは何かについて、そして12章からは福音を信じた者はどのように生きるのか、実践的な勧めをします。

まず、「礼拝とは献げること」です。「献げる」と言う言葉には「差し出す、そばに置く」という意味があります。私たちが自分の所有だと信じて、しっかり握りしめている物を「神のそばに置く、神に差し出すこと」です。

次に「礼拝とは神へ良き香りを献げること」です。旧約時代「祭司が毎日朝と夕に献げ物を燃え尽くし、その良い香りを神に献げた。神はそれを喜んだ」とあります(民数記28)。パウロはⅡコリント215で「私たちはキリストによって神に献げられる良い香りです」と語ります。私たちの日々の言動はキリストの良き香りを放っているでしょうか。日々、祈りによって心を新しく造り変えていただきましょう。

最後に「礼拝とは、賜物を献げ、神にご栄光を帰すること」です。教会はキリストの体、私たちはそれぞれの部分です。私たちは神様から与えられた賜物を用いて、互いに助け合い、補い合い、キリストの体を造り上げます。

神でありながら、人としてこの世に来られ、十字架にかかり復活された主イエス。それは私たちを罪から救うため。これほどまでに私たちを愛してくださった主にあなたは何を献げますか。主は「あなたの賜物を私に献げよ」と、今日も語りかけておられます。


# by hachimejibap | 2019-07-14 21:20 | メッセージ

羊のために命を捨てる

今日のメッセージ  八王子めじろ台バプテスト教会

201977                  協力牧師 北島靖士

聖書: ヨハネによる福音書101節~8

テーマ:教会  メッセージ「羊のために命を捨てる」

聖書には旧約にも新約にも、羊の話が数多く出てきます。羊は元々遊牧民であったイスラエル人にとって一番身近な家畜ですから、当然のことです。羊はおとなしいけれども愚かな動物だといわれます。本当にそうなのかどうか、わたしにはわかりません。わたしは小さいころ、田舎に住んでいました。その時には「山羊」は身近にいましたからよく知っています。山羊は乱暴な動物です。すぐ角で突っかかってきたり、足で蹴ったりします。一寸蹴られたようでも、大変痛くて、青あざが出来たことが何度もあります。しかし、栄養になるものが簡単には手に入らない時代です。ですから、山羊の乳で随分助けられました。山羊は山の羊と書くくらいですから、羊と一寸見た目には似ているようですが、性質は全く違います。聖書にも山羊と羊を分ける話が出てきます。羊の方は群れをなして生活するようですが、しばしばその群れを迷い出るものがあります。そして荒野の中で、不安と恐怖に立ちすくんでしまうのです。ある人が「その羊の姿は、人生の旅路を神に背を向けてとぼとぼと孤独と不安のうちを歩んでいるわたしたちの姿に他ならない」と言いました。

イヤ、わたしはそんな弱い人生を送ってはいない、また送ろうとも思わない。もっと強く、山羊のようにまわりに立ち向かい、攻撃して、押さえつけてでも生きるのだと言う人がいるかもしれません。けれども、わたし達は自分の力にたより、周りを攻撃して生きる時にこそ一番孤独なのではないでしょうか。誰も自分を理解してくれない、その不安がわたし達をますます攻撃的にするのです。家庭内暴力DVだとか、学校での暴力とかということが言われますが、それは親がそして教師や周囲がその子どもを理解していないところから来るのだと多くの教育学者や心理学者は言うのです。(中略)

以前に東京バプテスト神学校を卒業した方が、牧師としてある教会に赴任するに当たって、自分の就任按手礼拝でわたしにメッセージをして欲しいと頼まれたことがあります。その時、この話をしました。「あなたはこれから、この教会の牧師になるのだが、あなたが羊飼いになるのではない。あるいは羊飼いの中に階級、ヒエラルキーがあってイエス・キリストはCEO(最高経営責任者)である最高の羊飼い、その下に中間管理職としての主教や司教や監督のような羊飼い、さらにその下に一般の牧師、司祭と言う羊飼いが居るというのでもありません。全く排他的にイエス・キリストだけが羊飼いであります。教会においては、特にバプテスト教会においては牧会という教会にとって必須な働きにおいて牧師も信徒もその固有の働きによって、イエス・キリストという唯一の羊飼い=牧者に仕えるのです。牧会とは唯一の羊飼いであるイエス・キリストを紹介すること、イエス・キリストの言葉をその人に伝えることと理解しなければならないのです。」と申し上げました。

(これはメッセージの冒頭部分です。アウトラインではありません)


# by hachimejibap | 2019-07-09 09:14 | メッセージ