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自分を変えていただきなさい

テーマ 教会の明日
聖書 ローマの信徒への手紙 12章1~2節
2017年10月8日    主日礼拝              牧師 左右田 理

 歴史的バプテストは厳密には万人祭司ではなく無祭司であり、祭司はキリストのみ…
教会形成研修会(9/10)で松藤一作先生から受けた言葉は、プロテスタント他派の神学
校出身者である私がついつい忘れてしまいがちなことを思い起こさせてくれました。祭
司とは罪人を聖なる神さまに執り成す聖職、いわば選民思想的役職であり、ユダヤ人ク
リスチャン全盛の初代教会時代には当然の自負だったことでしょう。(1ペトロ2:9) しかし
本日の聖書箇所の直前(11章)では「救われた民=神に不従順」という公式が前提にな
っています。さぞ当時のクリスチャンは驚いたことでしょう。「それって自分たちも救われ
ていない民と同じってことじゃないのか?」 ひょっとすると現代のクリスチャンにも同じ
驚きがあるかも知れません。誰かを救いに導いてあげる責任ではなく、キリストによって
今も罪を赦され続けている自分たちを証しする責任、そういう発想の転換(パラダイム・シフ
ト)がこれからの教会形成に求められているのではないでしょうか。
 もう一つ研修会で心に残ったこととして“エコーチェンバー現象”という言葉があります。
スマホなどインターネット社会の広がりにともない、自分と同じ意見には応えるけれども
異なる意見には背を向けるという一種の社会現象です。松藤先生はそういう“対話能力
の欠如”が今までのキリスト教社会にもあったことをご指摘されました。たしかにノンクリ
スチャンをクリスチャンに変える一辺倒であれば、また転入者が慣習、慣例に従う一辺
倒であれば、教会の方こそがエコーチェンバー現象に堕していたと言えましょう。松藤先
生は、対話の可能性は自分自身に変わる用意があるかどうかに掛かっていることもご
指摘くださいました。対話の可能性は伝道の可能性でもあるのではないでしょうか。あ
わせてバプテスマは高みへ上がることではなく低みに立つことだという本田哲郎神父の
理解もご紹介くださいました。ここにも発想の転換への招きがあります。自分たちと異な
る相手との出会いのゆえにどれくらい教会の方が、クリスチャンの方が変わることがで
きるのか…そこにこそ教会の明日、伝道の明日があるのです。
 “北朝鮮の脅威”、“嫌韓流”など自分たちと異なる相手を排除する言葉、“一億総活
躍”、“都民ファースト”など身内、仲間内が向上するイメージの言葉が飛び交う現代日
本で、教会こそが発想の転換の旗手となろうではありませんか。


by hachimejibap | 2017-10-29 22:03 | メッセージ

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