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見えるようになりたいのです

テーマ 救い
聖書 マルコによる福音書 10章46~52節
2017年1月22日       主日礼拝            牧師 左右田 理

 本日の聖書箇所を読んで、一つの日本昔話を思い出してしまいました。“雉も鳴かず
ば撃たれまいに”…石川県発祥の日本民話と言われています。死にかかっていた娘が
赤飯を食べたがっていることを知った父は、盗みを働いてその娘の望みをかなえます。
やがて元気になった娘はその喜びを歌ったがゆえに、父の盗みが露見し、父は処刑さ
れます。何も言わなければ、そもそも何も望まなければ…しかし本日の聖書箇所では、
イエス様が通りかかったことを聴いた途端、堰を切ったように、その望み、願いがあふ
れ出る盲人バルティマイの姿が描き出されています。黙っていた方が身のためだ、と言
わんばかりに、抑えつけてくる、それまでと変わらぬ社会的圧力の中で。(48節)
 イエス様は、バルティマイの訴えに応えてくださいました。見えるようになりたい(51
節)、というその願いに応えてくださったのです。私は長らく、この物語のテーマを「治
療」として見てきました。見たいものが、好き勝手に見ることができるようになった物語
として。しかし、バルティマイはこの後、何を見たのでしょうか。(52節) 彼は、イエス
様の進む先に何を見たのでしょうか。彼の見たものは、自分の目を開けてくださったお方
が十字架に掛かって殺される姿でした。見えない人の目を開き 聞こえない人の耳を開き、
歩けなかった人を鹿のように躍り上がらせ、口を開くことのできなかった人を喜び歌わせ
てくださったお方が(イザヤ35:5~6)、まったく報われることなく、その生涯を閉じる姿でし
た。
 イエス様の十字架を目の当たりにして、多くの人たちが失望したことでしょう。見える
ようになる(52節)、ということは、自分の身の回りで、好き勝手に見たいものが見えるよ
うになっていくということではありません。この世においては、どんなにバラ色に見えて
いたものでも色あせ、神の約束だけが残る(イザヤ40:8)、という永遠の希望が見えるように
なる、ということです。
 イエスの進む道は、十字架の救い主の道、無償の愛の道でした。報いの見えないとこ
ろにこそ起こされる、人知を越えた希望の道でした。(ヘブライ11:13~16) 人知を越えた希
望と出会う道であり、絶えず新しい言葉と出会う道でした。私たちもバルティマイと共に、
イエスの御足跡をたどって前進しましょう。絶えず新しい言葉と出会って祈りつつ、十字
架のイエスこそ、復活の主であることを見せていただきましょう。
by hachimejibap | 2017-02-14 13:10 | メッセージ

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