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主に結ばれている者として

テーマ :フレンズ・デイ
聖書 マタイによる福音書 28章20b節、フィリピの信徒への手紙 2章25~29節
2016年9月25日                      牧師 左右田 理

 9月は、教会学校月間です。そして本日はフレンズ・デイ、みことばによる友との出会
いを喜びましょう。その昔、私が所属していた小学科クラスに、1学年下の子が入ってき
ました。とても気立てが良く、また賢く、良い仲間ができたと喜んでいました。しかし高学
年になると、彼は教会に来なくなり、道で会っても通り一遍な返事しか返ってきませんで
した。その後、耳に入ってきたこととして、親御さんによる英才教育の一環として、彼は
一学年上に入っていたそうです。教会の交友関係って、向上心の道具なのかな?…寂
しさと相まって、少し ひがんでしまったのを覚えています。
 イエス様は神に等しいお方であり(ヨハネ5:18)、弟子たちは人間であり、しもべです。にも
かかわらず、イエス様は、弟子たちのことを友と呼ぶ、とおっしゃいました。(ヨハネ15:15)
しかし、友と呼んでもらってすぐに、弟子たちは、イエス様を十字架上に置き去りにし、
見殺しにしたのです。弟子たちは、よみがえったイエス様から、二度と友と呼んでもらえ
なかったのでしょうか?決して、そのような絶望的結末のはずがありませんでした。なぜ
なら、キリストの言葉が語りかけられ、知らされたからです。キリストの言葉に対する私
たち側の出来不出来ではなく、知らされたこと自体が、“一方的に”友と呼ばれる証しだ
からです。イエス様の戒めは、いくつもあれど、本日の聖書箇所マタイ28:20後半にありま
すように、みことばの軸は、「イエス様は永遠の友」ということに他なりません。
 本日の聖書箇所フィリピ2:25には、エパフロディトという人について記されています。当
時、獄中にあった伝道者パウロから、協力者、戦友などと紹介されているのですが、パ
ウロのもとに到着してから病に倒れ、かなり自信喪失していたようです。(2:26) しかしパ
ウロは言うのです、「エパフロディトのような人々を敬いなさい」と。それは、無駄骨、徒
労といった社会的評価を背負わされている人々こそが、すでに、十字架の苦難の主に
結び合わされた命であり、イエス様の友として歓迎されるべき人々だからです。(2:29)
 ひたすら愛し、友とまで呼んだ弟子たちにまで裏切られて終わったご生涯、無駄骨、
徒労のご生涯…しかし、それこそが復活の命となったのです。何か都合の良さを得るた
めに友を得るのではありません。友を得るために友を得る、それが、みことばの友です。
フレンズ・デイから心新たに、友を得る明日へと、共に歩み出しましょう。(1コリント15:58)
by hachimejibap | 2016-10-05 22:00 | メッセージ

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